私の半生と体重遍歴④

こんにちは、まーこです。
長々と続いてしまったので次で終わりにしたいと思います…。(まだ続くの?)
今回で終わりにしようと思ったけど、Resoleに入会してからのことをしっかり書きたいと思ったら次までかかりそうだなーと思って。
恐らく今回までがつまんねー過去語りなので飛ばして大丈夫です😂

念の為これまでの記事はこちら↓
(飛ばして大丈夫。特に③がいちばんつまらない)

ちゃっちゃと今回は終わらせようと思いますが、自分語りして過去を思い出す作業も兼ねてるのでまた長くなったらごめんなさい😭
よければお付き合いいただけるとうれしいです🙇

前回パートだけど仕事が決まったところまで書いたのでその続きから書きますね。


10.またニートに…

求職者支援訓練を終えてついた仕事はパートだったけれど中々しんどかった。
それまで仕事をしてこなかったこともあるし、任された仕事が前任者がすでに現場にいない仕事で。最初からひとりでがんばってね!状態。パニックだった。
同じ課の方も5人しかおらず、私が担当する仕事を把握している人が誰もいない。
その中で一番偉かったのが副課長だったんだけど、副課長も別の課から来たばかりで仕事の内容は知らなかった。
手伝ってもらえないわけじゃなかったけど、私が担当する仕事だったから基本的にはひとりでやらなきゃいけなくて。
それが仕事でしょ?と言われたらそれまでなんだけど、教えてくれる人もおらず、同じ課の人ですら把握していない仕事をやらなきゃいけないことがしんどかった。
引き継ぎの資料もなく、でもしっかり仕組み・システムを理解してこちらがやらなきゃ困る人たちがたくさん出ることはわかっていたから、プレッシャーがありすぎた。

そして結局私は仕事をすることで適応障害を悪化させてしまった。

仕事も最悪なことに途中でやめることになった。長く続かなかった。
同じ課の方をはじめ職場の方には迷惑しかかけずに終わってしまった。

まともに働くことも出来ず、また病気を悪化させてしまった私。
でも今回は「仕事」が大きなストレスの原因だったからか辞めてからは案外早く回復出来た。
そこから私には働くのは早かったのかもしれない、ととりあえず短時間のバイトから慣らそうと面接を受けに行ったり、市役所や県庁の短期職員(正式名何だっけ?)をやったりしていた。
ちなみにアルバイトは全然受からなかった。
馬鹿正直だった私はまた迷惑にならないようにと面接の時点で病気のことなどを話してしまっていたのだ。受かるわけがない。
というか、雇う側からすれば「私は適応障害ですが配慮してもらえますよね?」と言われているようなものなのだ。
そんな配慮できるわけがない。
今思うと簡単にわかることなのに当時の私は馬鹿すぎて理解していなかった。
そんなリスク負うわけがなかろうて…。
(市・県の短期職員のときはそのリスクの話をしなかった。だから受かった。
いついつまでに終わり、と期間決まっていたから話さなくてもいいと思っていた。)

短期間だけだが勤めていたとき体重はがくんと減ってしまっていた。
食事がうまく摂れなくなり40kg台まで落ちていた。
朝食べないと心配かけるから、でも食べられるのはヨーグルトだけ、昼も100均に売ってるような小さい子用のお弁当箱が精一杯、夜も食べなくていいけど怒られるのが嫌でなんとか無理やり…そんなかんじの生活を送っていたためやつれた。
痩せたではなくやつれた、本当に。
仕事をやめたら食への意欲も自然と戻り、また50kg台に戻っていった。

11.なぜか結婚へ

そんなこんなで上記のニート生活に戻って2〜3年経ったころ。
なんと、こんなクソニート野郎にプロポーズをしてくれた超奇特な人が現れるのである。
はい、今の夫です。
夫とは求職者支援訓練に通っていたころ出会っていて、訓練の資格取れるかなー?とか短期間だけど仕事に就いていたときのつらさを話したりしていて、何度も何度も助けてもらったりめちゃくちゃ頼らせてもらっているうちに、私は夫のことが大好きになっていて、私の方から告白して4年ほど付き合っていた。

でも付き合い始めたのが29歳で30目前なのに結婚のけの字も出ないことから、私はこの人とずっと一緒にはいたいけど結婚という形態はとらないのかな?と考えていた。
なんというか、夫が私との未来を望んではいないのかもと考えていたし、また誰かを縛ってしまいたくもなかった。
そんなこんなで4年付き合っているうちに、私の中では勝手に結婚しないんだろうな、それもアリだな、なんてかんじになっていたのだ。
だからプロポーズは青天の霹靂だったのである。
とはいえめちゃくちゃうれしくて泣きながら受けたんだけど(笑)
大喜びで結婚する!と返事しました、はい(笑)

そして両親に会わせたい人がいるんだけど〜と伝えると、は?!あんたそんな人いたわけ?!という反応が返ってきたのである。
(デートはしていたんだけど両親の目を気にしていつも16時には帰っていたんだよね😂)

そんなこんなでお互いの親に挨拶を済ませたり両家顔合わせもバタバタと済ませ、2019年4月。
付き合い始めた日が一粒万倍日ということもあり入籍を果たすのである。

ちなみにこのときの体重は50〜53kgくらい。
しかしここから体重の大躍進が待っているのである。

12.結婚生活

夫との結婚生活はめちゃくちゃ幸せだった。
ただ、そのころ夫がいた部署が交代制(3交代)の部署で夜勤もあったため生活時間が乱れやすくなっていた。
夫は元からとても食べる人でそれにつられて一緒に食べているうちに体重はどんどん増えていった。
(ちなみに夫は現在高血圧・糖尿病、尿酸値もやばいです。
食生活改善で10kg落としたら糖尿病は落ち着いて薬飲まなくてよくなったけどね。)
夫が23時ころ夕飯を食べているとき4回目の食事をとることもあった。
家のそばにマックもケンタもあってドライブスルーで夜買いに行ったりしていた。
夜のスーパーの半額寿司をまたもや4食目として夫と食べるのが密かな楽しみだった。
でもしあわせだったから体重増えてやばいなーとは思っていてもそこまで気にしていなかった。
太ったら太ったで「かわいいよ」と夫が言ってくれる人だったのもよくなかったかもしれない。

結婚式は当初挙げる予定はなかったのだけれど、急遽家族に感謝を伝える場として結婚式を挙げることになった。
入籍してから式まで2ヶ月だったんだけど、なんと私は56〜58kgまですでに増えていた。
ドレス姿は残せたしその写真は大切にしているけど、今ならもっとダイエットして綺麗な花嫁姿で写りたかったな、と後悔もしている。

新婚旅行は石垣島に行ったんだけど、そこでも朝のバイキングで夫からドン引きされるくらい持ってきてもりもり食べたりしていた。
それでも水着になったんだから沖縄マジックすごい。

13.妊活とダイエット、そして出産

新婚旅行から帰ってきて、私は妊活をはじめた。
元々多嚢胞性卵巣症候群で薬を飲んでいて生理を止めていたから、まずは再開させるところからだった。
子どもが欲しい気持ちが元からあったけど多嚢胞性卵巣だから出来にくいだろうとは思っていたし、年齢も33歳だったから早いに越したことはないかな?と漠然と考えたこともある。

妊活をはじめて3ヶ月くらい経った頃。
金スマを見ていて衝撃を受ける。
標準体重のほうが妊娠しやすい、というようなことをお医者さんが話されていたのだ。
(テレビの詳細はとがわ愛さんのやせ筋トレをやしろ優さんとさとう珠緒さんがやる、という内容だった)

当時私はとっくに60kgの大台を突破し、人生はじめての68kgにまで達していた。
さすがにこのころやばいでしょ?!と焦りはじめて、先述のとがわ愛さんのやせ筋トレの本を買ってやってみたり、You Tube見ながらストレッチ、週に4日のウォーキングくらいはやっていた。
そのおかげで少しは体重落ちはじめてたんだけど。

その流れでとがわさん出るなら見よー!くらいで見たらそんなことを言っていたのである。
それが本当かはわからないが(お医者さんを疑っているわけではない)当時の私は信じたため、これは早急に痩せなければ!と毎日1時間のウォーキングに変更、やせ筋トレの筋トレも増やし食事量も減らしてなんとか62kgまで落ちたころ。

待望の妊娠が発覚した。

私は嬉しくて嬉しくて家族にすぐ報告した。

でも、この子はすぐに天国にいってしまった。
会うことは出来なかった。

今でも悲しいけど毎年命日(といっていいのかな?)にはお地蔵様のところに行って、元気かなって空を見上げている。


その出来事を少し乗り越えたころ。
また妊娠することが出来た。
今度は私も夫も慎重になって家族に報告するのは母子手帳を無事もらってからだった。

妊娠生活はしんどいことも多かった。
お腹が重くて自由が利かないのに、私はあまりお腹が目立たないタイプでバスに乗っても譲ってもらえなかったり。
初期のつわりは一般的にひどいくらい、中期は落ち着いていたものの、後期つわりがめちゃくちゃひどくて毎日気持ち悪くて寝たきりだったり。
そのうえ後期に入ってすぐ妊娠糖尿病になっちゃって。
(ほんっっっとにぎりぎりで引っかかった)
血糖値も測らないといけないからなんでもいいから食べられるものを食べてと病院でも言われるし。
そう言われても食べられないと言ったよ、わたしゃ。
そしたらまあ順調に育ってるから大丈夫ー!みたいにあっけらかんと言われたけどね。。
先生、明るくて助かったよ…。その明るさがむかつくときもあったけど(笑)

しかも寝たきりだから肩首腰がやられてマタニティ整体に行ったりしたしね…しんどかったね、うん。
(サロメンさん見えるともっともっとしんどかった人、しんどい思いした人がたくさんいたからこんなことくらいでしんどいって言っちゃいけないのかもだけど、個人的にはしんどかったのだ)

そして2021年2月。
早朝に破水し陣痛の間隔が等間隔&短くなってから3時間29分というスピード出産で可愛い可愛い女の子を無事出産したのである。

ちなみに。
破水したあともろもろ忘れ物があり(血糖値測る器具を忘れたのと破水が続いてパンツが足りなくなった 笑)夫に届けてもらったのがお昼。
その3時間後に生まれたと電話したもんだから夫は「は?え?生まれた?????」みたいになっていた。

62kgで妊娠して最大でプラス5kgにおさめたこともあり、出産後はすぐ60kgを切っていた。

ここから怒涛の育児がはじまることをまだ私は知らなかった。
私は35歳で娘を生んだから周りの友達はもうすでに子どもがいる人が多く育児の大変さを聞いていたし、姉も里帰り出産中泣いているのを見たことがあって、あの姉が泣いている?!(ほとんど泣かない人)となったことも覚えていた。
だけど、こんなに。こんなに大変でどうしようもないとは想像もつかなかったのである。

その話とResoleに出会う話はまた今度。

あ!でもね。かのちゃんとは出会ってTwitterフォローはしていました❤️
(例の2020年ケツ丸出し大バズ事件で)
あとちゃんももさんのこともかのちゃんを知る前にフォローしていました🍑
その流れで京角先生を知り、京角先生もフォローしていました💪🏿
だからResoleのことは娘が生まれる前に知っていたことになるんだけど…。

2020年6月に娘の妊娠が発覚していまして。
ダイエットは無事赤ちゃん生んでからじゃー!となっていたんだよね。

その前にかのちゃんに出会っていたけどサロンに飛び込む勇気も、この人みたいに変わりたい✨という気持ちはあっても話しかける勇気もなかったし、私なんかが変われないだろうという諦めもあったりしたんだよね。

ちゃんももさんのことはかのちゃんを知る前にTwitter徘徊してて偶然知って。
ビフォアフに衝撃を受けたの。
だからいつかこの方のオンライントレーニングってものを受けてみたいな…とこっそり見ていたんだけど、仕事もしていなかったから受けたいなんて夫にも言えなくて。
だからかのちゃんのこともちゃんももさんのことも京角先生のことも指を咥えて見てました。

でもね。
無事出産を終えたら入ってやる!!!
と、意気込んでいたのです。


またもや続くこんな自分語りに付き合ってくださって感謝です✨
ありがとうございます😊
次回からはいよいよReaole入会します(遅)

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