私の半生と体重遍歴②

みなさん、こんにちは。まーこです😊
昨日高校生までの私の人生と体重について書き綴りましたが、あまりにも退屈な文章になってしまってごめんなさい💦
(その記事はこちら↓)

またつらつら書き連ねるだけなので面白くもなんともありません。
リソ杯にむけての文章ではありますが、今の自分がなぜこうなったか振り返りたくて書いてもいるので、それでもお付き合いいただければ幸いです🙇

昨日最後にちらっと書きましたが、予備校は隣県まで電車で通うことを選びました。
今日はそこからまた書き始めますね。


4.予想外に充実した予備校時代

予備校は今思い返しても行ってよかったと思っている。
それまでの私はこつこつ努力することが苦手で自分でもよくないよなーなんて思っていたのだけれど、予備校でその大切さを学べたし実践もできたからだ。

予備校は勉強だけしてつまらないんだろうなんて思っていたけど、先生たちの授業はめちゃくちゃ面白かったし(高校時代は塾に通っていなかったからそんな世界を知らなかった)小話ですら為になったし、クラスには二浪、三浪してる人もいてその人たちから学ぶことも多かった。
年齢が様々なクラス(といっても1、2個しか変わらないけど)なんてこのとき初めて経験したからそれも貴重だったように思う。

予備校時代は片道1時間半の通学時間も学校にいる時間も家にいる時間もひたすら勉強に費やした。
これだけ勉強、いや、ひとつのことに励んだことは一度もなかった。
そういう意味でも行ってよかったと今でも思っている。

ちなみにダイエットに繋がる話をすると、このときにチョコレート及び甘いものの魔力にハマってしまった。
これだけは今痛かったな〜と思っている(現在甘いものがなけりゃ生きてけねぇ!となってるので)
それまでは甘いものは普通に食べるくらいで、正直チョコレートはあまり得意じゃなかった。
ケーキも生クリームよりフルーツタルトが好きだったし(今もフルーツタルト愛してるけど生クリームも愛してしまっている)なんならチョコレートケーキは苦手なくらいだった。(今はガトーショコラなんて大好きすぎてワード聞いただけでよだれが出る)

だけど通学時間立っている時間も長かったことや毎日めちゃくちゃ頭を使っていたからか、甘いものを食べるようになっても太らなかった。
なんなら高3の58kgから53kgまで戻っていた。
本音を言うとかなり不思議ではある。
甘いものの味も覚えたし、家に帰る前にお腹すくからコンビニで肉まんとかパンとか買って食べてから帰って、帰宅後また夕飯も食べていたのだ。
それでも太らなかったのは未だに自分でも謎。
若いのもあったとは思うけどそれだけ「今度こそ志望校に受かる!」と必死だったのかもしれない。
あ、でも夜は夜中まで勉強しても食べてなかったからそれも大きかったかも。

そして春。
私は無事高校からの志望校に合格したのだった。

5.憧れの大学へ

大学に合格していちばん喜んでくれたのは父だった。
父は私の志望していた大学に通いたかった過去があり、余程嬉しかったらしい。
それが私は誇らしかった。父に褒められることは少なかったから私もただただ嬉しかった。

でも大学に入って授業を受けて思ったのは「私は井の中の蛙」だった。
予備校でも成績は上位だったし模試の結果もよかったけど、大学で色んな授業に出て思ったのは私は所謂❲受験用のお勉強❳しか知らない世間知らずなんだな、ということ。
なんだか置いてけぼりをくらった気分だった。

とは言っても語学のクラスが楽しかったり、サークル(勉強系サークルに入っていたけど真面目な人ばかりじゃなかった)も面白かったし、バイトも始めてそこそこ充実していた。
初めての彼氏が出来たりもしたけど思い出したくもないので割愛。
亭主関白のお父さんの家庭で育った男は私には合わないな、と思ったことだけは記しておく。(私の実家の父も亭主関白な気はするが)

そしてこのころも今も全くもっておしゃれのセンスはないんだけど、好きな服を着て学校に行きたくなり、メイクもし始めて恋愛もしていたから、体重をかなり気にしはじめるようになった。
でも当時50〜53kgで40kg台になりたい気持ちはあったけど、元来の努力出来ない性格もありキープすることを心がける程度。
自宅でごはん食べるときは主食減らして野菜もりもり食べたり。
バイトは大戸屋だったんだけどごはんは少なめかおかずのみにしてもらってた。

初めての一人暮らしも楽しかったしまあまあ充実した生活を送って約1年半が経ったころ。
私にとって重大な事件が起こる。

6.適応障害

ごめんなさい、タイトルが病名でびっくりするよね。
ここから話が重くなるし、本音を言うと私も書くのが気が重いくらいなので、苦手な方は飛ばしてください。
ただ、私にとっては飛ばせない出来事なので淡々と、なるべく淡々と書きたいと思います。

ちらりと書いたけど私は勉強系サークルに入っていた。
魅力的な先輩が多かったし同級生も含めて真面目な子ばかりというわけじゃないのが面白くて、私はよくサークルの部室に入り浸っていた。
サークルは私にとって生活の一部になっていた。
かけがえのないもの、と言っていいように思う。

だけど私は異性との距離感の持ち方が下手だったのかもしれない。いや、下手だった。
大学2年の夏、サークル内の同級生の男の子から告白されたのだ。
私はサークル仲間、仲のいい友達くらいにしか思っていなかった。
そして私は当時サークル内の別の男子とお付き合いが始まったばかりだった。

はい。これ聞いただけで泥沼化が予感できるでしょ?

ちなみに私は告白してくれた子になぜ駄目なのか説明してほしいと言われたこともあり、ふたりでの話し合いの場を設けきちんと話した。
その場でその子はわかった、と言ってくれた。
私は付き合い始めていた人のことが本気で好きだったし、告白してくれた子のことは本当にいい友達としか思っていなかった。
何を言われてもその子とお付き合いするのは無理だった。

そんな出来事があったあとの学園祭。
私たちのサークルは講演会(著名な方を呼んで話をしてもらった)をしたんだけど、盛況に終わってみんなでよかったね!と話しながら片付けをしていたその瞬間。

告白してきた子がみんなの前で私を非難する言葉を浴びせてきた。
なんというか急にキレて。
学園祭は私たちの学年が主体でやってたから片付けには2年生と後輩の1年生しかいなくて。
そこでキレながら、自分が振られたとは言わないんだけど、こいつは最悪なやつだと言わんばかりに私のことを非難した。

運の悪いことに当時仲のよかったサークル仲間や女の子たちは先輩の手伝いに行っていてその現場にいなかった。

私はただ黙っていた。
何か言ったら火に油を注ぐと思った。
だから黙っていた。

ひとりの子がこっそり寄ってきてくれてすれ違いざまに「気にするな」と言ってくれた。
そのおかげで私は泣かずに済んだけど、後輩たちも事情を知らない同級生たちも困惑していた。

ただ一部の事情を知っていた同級生の男の子たちからしたら、ひとりの子を振ってサークル内の別の人と付き合っていた私はよくない存在だったようで。
その一部の男の子たちはね、異常なほどサークルを大事にしていたんだ。
だから私はいないほうがよかった。
その子たちからしたら私はサークルクラッシャーだった。
ただ言われたのは、まーこちゃんが我慢すればいい、それだけだった。

そう言われて私は居場所がなくなった。
サークルに入り浸っていたのも悪かったし、同じサークルに同じ学部の人ばかりだったのもいけなかった。
(私が入った学部が勉強するようなことの勉強をするサークルだった)
告白してきた子ともサークルを大事にしていた子とも同じ授業ばかり選択していた。

サークルが怖くなっていけなくなっただけではなく、あの授業にいけばあの子がいる、大学にいけばあの子がいる。
大学に行くことが怖くなった。
大学に行くだけでなく大学に通う道が怖くなった。
当時大学のそばの駅に引っ越したばかりだったから日中大学の人が通る道が怖くなった。
サークルの人に会うかもしれないことが恐怖だった。
昼間外に出ることがなくなった。
日中外出しなくなったから昼夜逆転の生活をするようになった。
夜ならなんとか近くのコンビニには行けた。

唯一の救いは彼氏だった。
親には言えなかった。
彼氏しか助けてくれないと思っていた。
でも救いだったのは彼氏が本当に出来た人で、どんどんおかしくなっていく私を支えてくれたことだった。
自分の家においてくれたりして週の半分は彼氏の家で暮らすようになった。

でも、大学2年が終わるころ。
通えていないから単位は取れない。当然だ。
私はついに親に大学に通っていないことを話した。
理由は話せなかった。
「その程度のことで」と思われたくなかった。
「男が原因なんて馬鹿か」そう言われると思った。
何より喜んでくれた父を、そんな理由で行けなくなったとがっかりさせることが怖かった。
親に呆れられる、それが怖かった。

私は意地もあったしがっかりさせたくもなかったから頑張りたいと告げて実家には帰らなかった。
でもそうは言っても大学には通わなかった。
通えなかった。
相変わらず大学が怖かった。
サークルの人と顔を合わせるかもしれない。
それが本気で怖かった。

頑張るといって東京に居座って。
ただ彼氏に依存していた。
彼氏以外の人と連絡をほとんど取らなくなった。
大学で出来た友達はすっかりいなくなった。
高校や予備校の友達とも連絡を取るのが億劫になった。
代わりにネットの世界に逃げ込んだ。
当時みんなやっていたmixiは大学の友達ばかりだったから退会して、流行り始めていたブログに手を出した。
そこでオタクの友達を増やすことに目覚めた。
彼氏とネットが私の世界のすべてと言ってもいいくらいだった。

そしてこのころ私は彼氏に勧められてようやく心療内科に行くことにした。

そこで適応障害と診断された。

ショックもかなり強かったけど予想はついていたし、そういう病気なら大学に通えない私が悪いんじゃないという言い訳が出来た気もした。
何より当時は「なんで私がこんな目に」という❲悲劇のヒロイン❳ぶった気持ちが強かったから、病気のことは予想していたより受け入れることが出来たように記憶している。

また長くなってしまったのと、書いていてやはり少ししんどいこと、休憩してから続きを書いたら何書こうと思ってたんだっけ?になってだれてきちゃったので(最後のが本音)一旦また終わります。
本当は今回で終わる予定だったんだけどな😂

ただひとつ言っておきたいのは、自分が悪かったところや至らなかったところも多々あったからこういう結果になったと思っているので、当時は自分だけが可哀想な人と思いこんでいたけど決してそうではないということ。

少し暗い話をの比率を少なくして体重の話をすると、大学通えなくなって夜のコンビニくらいしか行けなくなったことで、私はファミチキ先輩と懇意になりました。
毎晩食べてたと言っても過言じゃない。
そしてジャンプ立ち読みしてた。

そのおかげ(?)で見事体重は増え63kgに。

でも当時の写真ってほとんど残ってないんだよね。
彼氏の家に入り浸ってたくらいでほとんど外出してなくて。
たまに一緒に夜出かけてプリクラ撮ったりはしたけど、ネタバレしちゃうとこのときの彼氏は今の夫ではないので、プリクラは処分していて。
(感謝していたから嫌な気持ちで処分ではなく前に進むためにというかんじよ)

ただSDカード整理していたときに残っていたデータを数年前に見たときの感想は

ほっぺやべぇな。まん丸じゃん。

でした。
(顔しか写ってなかった)

読んでくれたみんな、ありがとう。
長いだけでつまらなかったよね。

続きはまた今度。
いつ終わるかな…自分でも予想外に長くなってる。
でも過去を思い返して整理することを前からやってみたかったので、今回リソ杯を機にやっています。

もうしばらくお付き合いください✨

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?