障がい者=不幸なのか。

久々の投稿で、いきなり重い話題です。
読みたくない方は回れ右してくださいね。

私がこんなことを書こうと思ったのは、障害のある夫と暮らしていて思うことがあるから。

私たち夫婦は7年前に結婚💒

不妊治療の末、最近ようやくお腹に新しい命を授かりました😌

夫には生まれつきの視覚障害があり、身体障害者手帳を交付されています。

視覚障害と言っても多少は見えているいわゆる弱視で、保育園から大学まで普通校に通いました。
車の運転免許が取れないなど多少の不便はあるものの、就職して人並みのお給料を稼いでくれています。

そんな夫の障害が50%の確率で遺伝するかもしれないと判明したのは、結婚してから。

判明したときは、そうなのか…50%ってことは2分の1か…とは思いましたが、それが理由で子どもを諦めようとは考えませんでした。

結婚後7年間子どもがいないと、周囲から勝手に子どもは要らない夫婦なんだと思われていることが多く、
「障害が遺伝するかもしれないから、お子さんは作らないのね」と決めつけられたりもしました。

確かに障害が遺伝するリスクは健常者同士の夫婦よりも高いかもしれません。

でも、健常者同士の夫婦からも障害のある子どもは産まれますし、事故や病気などで誰もが突然障害を負うことだってあります。

もし夫の障害が遺伝したとしても、夫というロールモデルが身近にいるし、夫や夫と同じ障害を持つ仲間と知り合って、障害があることで多少は不便だけど不幸ではない。健常者と呼ばれる人と比べて、障害者は不幸で価値の低い人間なのかと聞かれてもそうではない、と自信を持って言えることから、結婚2年目くらいから妊活を始めました。

なかなか授かることができず、不妊治療専門クリニックに通いましたが、私たち夫婦が子どもを望んでいることを知ると、「遺伝の確率が高いのに子どもが可哀想、不幸ではないという価値観を押し付けるのは親のエゴではないか」などと言う人もいました。

捉え方には個人差があるとは思いますが、夫の障害は多少不便な面はあるものの、日常生活が著しく制限されることはありません。

健常者と呼ばれる人でも同レベル程度の何らかの不便な思いをしている人は割と多くいるだろうと感じる程度です。

私はいわゆる健常者で大きな病気もせずに大人になりましたが、障害のある夫たちよりよっぽど可哀想な境遇で育っています。 (自他共に認めています💦)

何の支援も受けられず本当に辛かったです。
(私の生い立ちについてはまたいつか別のところで…)

現在、共生社会の実現が強く叫ばれていて、病気や障害のあるいわゆる社会的弱者と呼ばれる人たちには一昔前と比べてかなり手が差し伸べられるようになってきています。 

私のような境遇の者よりも社会的弱者と呼ばれる人たちの方が、よほど生きやすい環境が整ってきているのです。
 

それでも健常者=幸せ、障害者=可哀想なんでしょうか?

健常者でも障害者でも幸せな人もいれば不幸な人もいるし、善人もいれば悪人もいます。

単純に一括りにするのは違うと思っています。


そして、何もかもが恵まれた環境で、不自由なく育ってる人って実際どれだけいるんでしょうか。

人間誰しもが大なり小なり抱えるものはあるわけで、周囲のサポートが得られるかどうかが生きやすさ、人生の充実度に関わってくるのではと考えます。

私としてはよく知らないのに、『障害者=不幸』だと短絡的に考える心の持ち主の方がよほど不幸で可哀想な人間だと思ってしまいます。



お腹の子に会えるのはまだまだ先ですが、家庭環境に恵まれなかった私にとって、家族3人で過ごせる日が待ち遠しくてたまりません。

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