noteの効果

なんとか続けている部分もありますが、noteを70記事以上書いていると、それなりに自分にも影響が出ています。

なんというか、このnoteは自分への問いかけにもなっている部分があったり、noteのネタにするために行動するとまではいかないものの、日々、ここに書くことができるように、いろんなものにアンテナを張るようになったかもしれません。

具体的には、noteで書いたことだからこれは実行しよう、となったり、今日行った場所とか、今日体験したことってnoteに書けることだな、と常に頭にnoteがくるようになりました。

「発信」するようになると頭のリソースをその意識に割かれる分、大変な面はありますが、日々のメリハリはつきやすくなったようにも思います。

あとは、発信していなくても思うようになったこととして、こんなことがある。





「ちゃんとしよう」

別に僕自身がちゃんとしていないとは言いませんが、この部分に対してより気をつけるようになったと思っています。
このような場末のnoteがあまり人に見られることもないかもしれませんが、それでも一応、自分の顔と名前を出して発信している「発信者」。

何か下手なことを言えば炎上する可能性はないわけではないし、ネット以外でも、町を歩いているときとか、日々生活しているときとかも「発信者である」という意識が強くなりました。

別に、「誰かに見られているかも?」と思っているわけではなく、関わってくれる方々に対してや、関わっていない、ただ道ですれ違うような全くの赤の他人、そして周囲に誰もいない場所も、僕の場合は、

「こういうことを書いているのだから、自分はこういう態度を取らないといけない」

と、いい意味で意を正すようになりました。

これが心地よい緊張感を生み出す源になっていて、だからこそ日々にメリハリが出ているのかもしれません。

「行動以外信じてはいけない」

とは書いたものの、もちろん難易度は高いけれど、もちろん「言行一致」が一番良い。
言行不一致は、文章を書く仕事をしているというのもあるけれど、自分としても気持ちが悪いので、なるべく言葉と行動は一致させたいとは思います。

その意味で、noteに書くことはある意味自己洗脳になる。
そのフレーズを「書く」ことと「読む」こととでは、「書く」ことのほうがずっと自分の心理に及ぼす影響は強い。

noteを書き続けることが、自分を成長させてくれることに繋がれば幸いだと思って、できる限り続けていきたいと思っています。

この記事が参加している募集

ライターの仕事

読んで頂き誠に有り難う御座います! 虐げられ、孤独に苦しむ皆様が少しでも救われればと思い、物語にその想いを込めております。よければ皆様の媒体でご紹介ください。