常識外れなことをするには、まず常識を知らないといけない

また世間でよく言われているフレーズから記事を書くんですけど。

「常識に囚われない」

という言葉や、

「ぶっとんだ発想/行動」

という言葉を、よく聞きます。
これに関して思うことがあるんですが、僕は、こういったことをやるには、まず条件があって。

タイトルに上げた通り、前提として常識を知らないといけないと思っています。
世間一般の常識もそうですし、自分が所属している業界や空間における常識もそう。
言い換えれば「王道」と言われているもの。

それを身につけておく、知識として仕入れておかない限り、いきなり常識を外れた行動をとっても、結果が良いものになることって、あまり無いんじゃないかなと思います。

常識を重んじすぎるのも、頭が凝り固まってしまうし、発想が乏しくなるというのは確かにあります。
ただ、常識はいわゆる基礎問題。
例えば日本人が英語を身に付けたいとなったとき、単語とある程度文法という基礎知識がないと、その応用となる文章は書けないし、話すときも頭の中で英文を構築することができない。

これは他のあらゆることに言えると思っていて。
僕のライターや構成作家という職業でも、企画や番組での放送を見越した形でストーリー仕立ての資料を出すことが何度もあるのですが、時折、これはとても初心者がいきなりできることではないと思うことがあります。

僕自身はあまり意識したことはないのですが、映画を見たり、読書をしたり、シナリオの書き方の本を読んで実践してみたりなど、振り返ってみればそういった基礎訓練を経てできるようになったことだと感じる。

そしてその企画の内容自体も、王道というか置きに行くものから王道から外れたものまでいろいろあります。
僕も外れたものをクライアントに提案することがあるのですが、これでウケるときがあるのも王道、つまりそのプロジェクトにおける常識を知っているからだと思うんです。

常識がわかっているからこそそこから外した行動を取ったり、発想ができる。
常識を知らなくてもそういうことができ、そしてそれが当たることもあるとは思います。
ただ、その確率は、常識を知った上で行った方が高まると思う。
僕はここに、いわゆる

「一発屋で終わる人とそうでない人」

との違いがあると思っています。

ただ、常識を身につけるのは得てして時間がかかります。
だから、なかなかメンタルを削られてしまうんこともあるですよね。
この修練の時間をどう捉えるか。
焦らずにじっくり構えてやっていくことができるか。

そのメンタルのコントロールにかかっている部分はあると思う。

読んで頂き誠に有り難う御座います! 虐げられ、孤独に苦しむ皆様が少しでも救われればと思い、物語にその想いを込めております。よければ皆様の媒体でご紹介ください。