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幻の麦茶にまつわる長い勘違いの話

自分が幼稚園くらいの時だったと思う。夏休み中の課外学習か何かで、幼稚園ではなく、どこか地域の施設に遊びに行っていた。

お昼ごはんは各々お弁当を持たされ、それを会議室のような場所で食べた。みんな飲み物も水筒で持たされていた。たしか私も水筒を持っていたはずだ。それなのに、なぜかわからないが、当時仲の良かった子から水筒の中身をわけてもらったことがある。それは麦茶だと言っていた。

水筒には氷が入れられており、コップに注ぐ時に内部でカラカラと音を立てた。冷たいことは保証されている。
北海道の夏といっても、クーラーなんてついてないから、暑いものは暑いので、冷たい飲み物はありがたい。

口をつけると冷たさに救われる。同時におどろいた。
それまで私が飲んできた、少なくとも我が家で味わってきた麦茶とはあきらかに違う味がしたのだ。
渋みは少なく、すっきりとした酸味があり、粗野じゃない。
子供心にも上品さ、高級さを感じたその味は強く印象に残るものであった。

それから、その友達の家に遊びに行く機会も多くあった。すると、きまってこの高級麦茶が出てくる。きっとこの家だけの特別なものなのだと思った。

なにせ、うちは団地暮らし、むこうは立派な一軒家暮らしだ。
それだけで、麦茶にも差が生まれてしまうのだなと幼心に感じていたのだろう。

だから、自分の家ではとても口にできなかった。
文字通り飲むことができないという意味でもあるし、話題にできないとの意味でもある。
なんの遠慮があったのか、うちではそんな高級麦茶など買うこともできないだろうと思ったし、おねだりをするのもはばかられたのだ。

その味はずっと記憶に残り、我が家で麦茶を飲む度に、共感覚のごとく彼の味も想起させられた。
ある意味では麦茶を飲む度に劣等を感じていたともいえる。

中学まで一緒だったその友達とは違う高校に進み、それからぱったり疎遠になってしまった。彼の家に遊びに行くことも、もうないだろう。

大学生になって、ひとり暮らしをすると、貧乏ながらも自由にものを選んで買うことができるようになった。
ある夏の日に、麦茶がほしくなった時、郷愁の思いからか、あの味わいがふと恋しくなり、どうせなら高くても買ってしまおうと思った。
スーパーなどで色んな種類の麦茶を高いものから安いものまで買って飲み比べたが、あの味に近いものはひとつもなかった。
いったいどこに売っているのか検討もつかぬ。
だけど、あの味わいをもう一度と、あきらめきれぬ気持ちをずっと持っていた。

大学院に進学し、研究に追われ、就職をして、忙しい毎日のなかで、次第にこの麦茶のことは忘れ去られていった。心がどこかであきらめをつけたのかもしれない。もはや、幻の麦茶となってしまった。

このことをもう一度思い出したのは妻とハーブ園に行った折であった。
そこでは様々な種類のハーブティーを試飲することができた。
私はどうもハーブティーというものを飲まず嫌いしており、今まで自分から飲もうとしたことも無いし、飲んだ記憶もない。
しかし、せっかくの機会なので、色々と試飲した。存外美味いものである。
リラックス効果もあるらしく、今ではたまに飲むようになっている。

さて、その中のひとつを飲んだ時、一気に過去の記憶を司るシナプスが発火した。あの味が完璧に再現されたのである。
心構えもなく急に甦ってきたものだから戸惑いが生じた。だが、すぐに理解した。

私が長年、高級な麦茶だと思っていたものは、ルイボスティーという名のハーブティーだったのである。

幻の実態をつかんだ興奮はあったものの、なんだか脱力感もあり、笑うしかなかった。

こうして長い長い勘違いは解消されたのであった。

小さい頃は知識がないばかりに自分勝手な想像をして、そのまま納得してしまうことがよくあるらしい。しかしここまで長く勘違いしていることも珍しいから、こうして笑い話がてら紹介してみたのである。

他にも、もしかしたら死ぬまで勘違いしたまま、ということもあるかもしれない。それはそれで良いだろう。

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