The Lonely Pine/George Inness
日が落ちかけ、赤黒く染められた地平線が見える。
黒く引かれた地平の向こうでは、沈む太陽が燃え盛る。
光が粘土になって、のっぺりと地平線に貼りついているみたいだ。
太陽の力強さを物語っている。
空に赤味を残し、平原はわずかに夜の黒さに侵され始めた。
平原には一本の松の木が立っている。
地平線と垂直に交わり、残光のあたたかさを感じながら立っている。
細長い三角形のシルエットをつくるのは豊かな葉だ。
限りなく拡散する空と大地の中で、木の葉達だけが幹と枝にぎゅっと収束されている。
だけれど幹は頼りなく細い。
むしろ木の先端が雲から吊り下げられて立っていられるみたいだ。
本来であれば美しい夕焼けのグラデーションを見せていたはずの空は雲で大半が隠されてしまっている。
暗雲のかたまりは空の低いところにいる。
そのせいで黄金色の空は半分も見ることができない。
幸いなことに平原内にも黄金色に輝いているところがある。
雲に遮られない空の一部を反射している水面がある。
地面の一部に水が溜まっているようだ。
ここは湿原のような場所なのだろうか。
暗雲がもたらした雨の降った後なのだろうか。
あらためて全体をみると、不思議なことに一本の木が楔のように打ち込まれることで、上下の概念、天と地の説明がなされていると感じる。
木が天地の距離を引き寄せているようで、この木が無ければ天地は割れて、ひっくり返りそうな不安定さが漂う。
無秩序に向かっていく世界をつなぎとめている存在。
これは心象風景のようでもある。
こころの中に一本なにかがあれば、それが全精神の支えとなることもあるのだ。
・直感的に良いなと思った作品を選んでいます
・芸術に関しての知識はない素人です
・観て感じたことを文章化する練習として書いています
・ゆえに以上は完全なる個人の感想であります
・読んでいただきありがとうございます
作者についてのメモ
https://ja.wikipedia.org/wiki/ジョージ・イネス
とはいいつつも、背景が気になるのは仕方がないのであります。
「アメリカの風景画の父」と呼ばれた人だったのですね。
初期の経歴から
牧歌的、農村風景を好んだイネスは産業のある景色を避けるとともに、特定の場所によって触発された彼の視覚的記憶から生れた空想的風景を形態上の課題を深く検討した上でアトリエの中で描いた多くの傑作を生み出す様になった。
牧歌的を好むという点に共感した可能性があります。
この作品もアトリエのなかで描かれたのでしょうか。
晩年から
特に人生の最後の10年間で彼の芸術に現れた"抽象的に扱かわれる形態", "柔らかなエッジ"や"過剰な色彩" 等の神秘的な要素の『10月』(1886年、ロサンゼルス郡立美術館蔵)、"深遠と劇的が並置"された空と大地の『モントクレアの初秋』(1888年、モントクレア美術館蔵、親しみやすい風景を強調した『森の日の入り』(1891年、コーコラン美術館蔵)が特徴となる
彼は夕日を見ながら、空中に手を広げ "わが神よ! ああなんと美しい!"と叫んだ後、地面に倒れ伏し数分後に死亡した
死没が1894年ですから、1893年のこの作品は最晩年の作品ということになります。
作者にとって夕日がどんな存在だったかはわかりません。
日が沈む場面を描いているからには、なにかあるはずです。
私はひとりの画家に関していえば、晩年の作品を好む傾向にあります。
ひとりの人間の完成を見るようで大きな感動をうけるのです。
生き様をみせられているようで、つい見入ってしまうのです。
こうしてネット上で芸術作品をみれるようになったことはすばらしい体験です。
だけどやっぱり生で触れたい。そう思っています。
構造的観察
ほとんどの線が木に集中していますし、コントラストを見ても木が一番暗くなっていることがわかります。
地平を中心として横のラインがメインですが、木のつくる縦線がそれらを支えています。
黒い雲を左上側に突き出すことで
松の木とバランスをとっている
左側が重くなりすぎないように、上下に明るい黄色を配置している
松の木が中心よりも右に位置している分
地平線を傾けてバランスを取っている
左上下角に対応するように、右上下角も少しあかるめにしている。
この4角は画面中央部に引力を持たせている。
この相似形を見つけた時はゾッとしました。
一気に不気味さが増した気がします。
見る人を惹きつける魅力が構造的にも隠されていました。
自分がどうして上述の感想を持ったのか、少し仕掛けがわかったみたいで、おもしろいですね。
もっと見る目を育てていきたいです。
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