障害者ラッパーしずくの過去
自分の言葉のバックボーンは学生時代はよく読書をしていた
うちの家系は理系なんだけど母が読書家で
子供の頃とにかく嫌いだった読書が
好きになった時があった
自分は中学生時代不登校で三年過ごしていたのだが
読書感想文のために家族が
夏目漱石の「坊ちゃん」の文庫本を買ってきた
それを一日かからず読んだ
最初神妙に向き合ってみたが
とにかく活字を追う喜び知ったのはその時だ
太宰治、三島由紀夫、アルチュール・ランボー
ウイリアムブレイク、シャルルボードレール、村上春樹
ここらへんはハマった
今は文学書に未練はない 漫画の方が情報として深いと思う
自分のボキャブラリーのルーツは文学書にある
これは間違いない
あと高校の頃友達が大槻ケンヂと石野卓球にハマってて
彼らの影響の受けた作品を追い求めた
中学の頃誕生日に左のレスポールを買ってもらったが目がなく
テクノとノイズミュージックはギターが弾けなくても作れるという
初期衝動をゲットして バイトしてMTRやシンセサンプラー DAWをその友人
今はよしもとでお笑い芸人をやっているあかざきまさゆき君とシェアした
先述した友達とは彼のことだ
マイスペースで一緒に組んだバンドや各々の音源を発表した
今でも残っているのだろうか? CDRに保存してはあるので
マスタリングしていつか発表しようと思っている
無我夢中 馬鹿の一つ覚え 挫折 トラウマ
時に人に傷つけられ 時に人を傷つけてはおざなりにしている
後悔しているが前を向くしかない
留置所に入ったこともある あれから一気に周りから人が去ったのを
忘れられない 苦しかった
後に精神病院で診断されたのは境界知能(知的障害)
と自閉症スペクトラムだった
しかしその手の病院に通い始めたのは19歳の頃からで
当時は統合失調症と診断された
だがその診断は覆った 20代後半入院した時診断書には統合失調症の
診断がされていなかった
カウンセリングに通っていた頃に先生が
「あなたは統合失調症じゃない」
と言っていたが
正に読みは当たってしまった
だから通院治療投薬しても治らなかった
医療を恨んでもしょうがないとも思う
仕方ない
全ては遅すぎた
となる前に 自ら命経つ前に 殺生をしてしまう前に
なんとかなってよかった そう思うしかない
ラップを始めたのは25歳くらいの時
周りでヒップホップ好きが多く自分も無茶苦茶ヘッズだったので
少しずつ始めてみたが 病気の薬の副作用で呂律が回らない時期が長かったからか
酷い内容だった
周りで評価してくれる人も少しいたが
表に出せない話もあって
籠島雫に芸名を変えてまたやることを始めた
ラップについて自信がついたのはサイファーに出たり
オンラインサイファーでシェアしたり
ビートを仲間に売ったり提供したりしているうちに
孤独がリリックへと向かわせ宅録でレコーディングして
ステージに上がり経験が自信と評価に繋がった
上手くなるためには場数とRecしかないそう断言できる
去年ニコ生でベースの弾き語りをしていた
評判は賛否だったがジョンゾーン デレクベイリー フラメンコ
異色の天才 音痴 色々だった
恥ずかしい僕の失敗というつもりだったが こう振り返ると
まあ少しはよかったのかなと思う気がするよ
イエィ