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風が吹く、君を待つ。

 目の前をバスが通り過ぎた。「まだバスが来る時間まで2分あるぞ」それでも行ってしまったことに変わりはない。次の迎えが来るまで20分。「ただここで待っているだけなら歩いて進むか」高野川を歩きだした。世間の人は「今年は秋がなく冬が突然きた」とぼやいているようだ。確かに体感気温はそれぐらい寒く感じる。でものんびり歩くと、秋は僕たちの目の前にいることに気付く。普段は邪険に扱うカラスでさえも秋の京都にいると風情よく見えるものだ。僕は次のバス停まで、くれぐれも抜かれないように後ろを気にしながら歩いていた。

 僕は驚いた。川沿いに数人が集まって川にカメラを向けている。自転車を停めて、手すりに身を乗り出す熱心な人もいる。

ん?

野生の鹿や。鴨川(今は高野川だが)にいるのは鴨だけでないのか。もちろんすぐ近くに鴨の親子もいる。カモとシカがいる。千葉で生まれ、東京の生活に慣れている僕にとって野生のシカは刺激的だった。こんな民家に現れたということはすぐ近くの山々で会っていてもおかしくなかったということだ。改めて僕は、京都は地方の一都市、田舎だということを知った。

 シカに満足した僕は次のバス停で市営バスに乗った。目的は岩倉の実相院だ。

岩倉実相院
元天台宗寺門派。寛喜元年(1229)創建とされる。応仁文明の乱の戦火を避けるため今も地名として残る上京区実相院町の地からここへ移った。以降何度も戦火に見舞われたが、寛永年間(1624〜44)に復興されてから法統は代々皇孫をもって継承され宮門跡としての寺格を有した。また「滝ノ間」に映り込む楓が「床緑」、「床もみじ」と呼ばれ親しまれるが、価値保存のため室内の撮影は一切禁止となっている。

 ここでしか感じない秋の匂い。しかし、秘境だと思って初めて訪れたが僕の周りは人で溢れていた。京都の秋といえばここ!そう自信を持って言えるスポットを見つける旅はまだまだ続きそうだ。

 帰りは岩倉駅から叡山電車に乗って帰ることにした。途中の宝ヶ池駅辺りだった。鞍馬方面へ行く反対側のホームは、リュックサックを背負った人や自慢のカメラを首から下げた人たちで混雑していた。時刻は16時をまわっていた。鞍馬か貴船でライトアップでもあるのだろうか。京都の紅葉といえば「人」が連想されるのは、事実ではあるが少し退屈な気がする。

 一乗寺駅で降りてラーメンを食べた。周りの人から「実家に帰るか」という会話が聞こえた。きっと正月の話だろう。正月のことを考える時間も、ある意味で冬の始まりを感じる。そして、ふと湧き上がる人肌の寂しさ。今日で今年もあと40日。いや、まだ40日。僕は現金でラーメンの支払いを済ませて店を出た。木枯らしに抗うように歩き始めた。

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