安住の地について
これについて語るには僕はまだ早いのかもしれない。だから現時点で思うことだけを少しばかり書いてみること。
安住の地を求めて僕がまず興味を持ったのは「京都」であった。そのきっかけは大きく3つある。
①中学2年生の頃に修学旅行にて初めて訪れた時
まさに夢体験。ここに住んでいる人たちは別世界の人間に見えた。
「京都市立金閣小学校」
いまだに鮮明に覚えている。歴史の教科書で見た金閣寺近くで義務教育を受ける。僕にとっては、実家が寿司屋でいつでも好きな時に新鮮な魚介を食べられる、それに近い憧れがあった。当の本人たちはそんなこと気にもしていないはずだ。だって生まれた時からそれが日常だから。こんな場所に住んでみたい、そう思った最初の記憶である。
②JR東海「そうだ 京都、行こう。」の広告を見た時
あれもまたウブな僕にとって衝撃的であった。あの広告は単に旅行パックを勧めているのではない。行く前には夢を与え、途中ではガイドもしてくれて、終わった後はもっと知りたいと知識欲を掻き立てる。
「桜の開花がニュースになる国って、すてきじゃないですか」2001年春・仁和寺
「ここの桜のように1年にたった1回でもいい。人をこんなにも喜ばせる仕事ができればなんて思いました」1999年春・善峯寺
「まっすぐ揃っているのが、良い。歪んでいたりズレているのは、悪い。なんてルールは、この茶碗のどこにも見つかりませんでした」1999年冬・大徳寺大仙院
「1年なんてアッという間に過ぎていく。それじゃいけない。ホーッ.....京都の紅葉が、ゆっくりとため息をつかせてくれました」2006年盛秋・曼殊院
「ムーン•ウォッチングという英語は、ないそうです。この塀の高さも、この木の位置も、この砂の色も、決めたのは、お月さまでした」1996年初秋・正伝寺
③やっぱり『燃えよ剣』を読んだ時
今の僕を形作ったきっかけを挙げるとやはり司馬遼太郎さんのこの名作ということになる。最近だと実写映画が公開されて話題になっている。武州多摩の地から徳川将軍を大義名分に上洛を果たして活躍する彼の「動」の部分と、戦いの狭間に欠かせない恋模様や人間らしさが垣間見える「静」の部分。これらが絶妙に僕の心に響いていまだに何度も読み返している。僕もいつかこの地で、そう思わせてくれたのは間違いない。
ただ念願の京都での生活を果たしている今の気持ちはどうか。京都は当然気に入っている。関東にいた頃よりも断然今の方が京都に対して愛着がある。ただ、僕はこれまで京都のどういうところが好きなのかはっきりしなかった。
雰囲気?
寺社仏閣?
京料理?
そういう歴史の教科書に載っているようなことなのか。それに対して最近1つの答えが出たような気がする。
「シンプルな静けさ」
結論これだ。祇園祭は先輩に誘われて1度だけ。清水寺より鞍馬寺。五山送り火当日はクリスマスよりも聖なる日。両手で抱えられる程の球体の石。それを地面と水平に断ち切る。真っ二つにした西瓜の赤い部分だけをくり抜いたような石の容器ができあがる。そこにめがけて軒樋から雨水が滴り落ちて、ポチャン、ぽちゃん。僕の周りは水音しか聴こえない。そんな静寂が当たり前な場所。それはただ1つあれば十分だった。僕が安住の地として求めることは唯一にして絶対的なものだった。
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海の京都。この広告を見つけた時、僕の人生の舵がぐるっと大きく動いたような気がした。
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