見出し画像

ロック・ミュージックの幕開けを告げたアルバム

画像1

©English Wikipedia

1962年。この年は、ロック史が始動していくにあたり重要なメルクマールとなりました。

ビートルズがデビュー・シングル、ボブ・ディランがデビュー・アルバムを発表、また、既にメジャー・デビューを果たしていたビーチ・ボーイズがヒット・シングルを放ち、他方、ロンドンの地下クラブではローリング・ストーンズがライヴ・デビューを飾っています。

1940年代前半生まれの彼らは、リヴァプール、ミネソタ州、カリフォルニア州、ロンドンとそれぞれ出身地が異なりますが、ティーンエージャー時代、各々が共通してロックンロールに魅せられています。

そして、彼らは、アマチュアでの音楽活動を通し、音楽ビジネスで成功を目論む野心家マネージャーと出会い、やがてポップ・ミュージック・シーンでの活動へ身を投じていきます。

今日、ご紹介する4枚は、その後のロック史の礎となった彼らの処女作であり、興味深い事に銘銘異なるスタイルを提示しています。それは、ロックが多様なルーツを束ねることで成立したジャンルである事を示していると同時に、それ以降のロックが更なるスタイルの広がりを見せる可能性を予見させます。

画像2

The Beatles/『Please Please Me』(1963)

作品評価★★★★(4stars)

英国の港町から現れた4人組の青年達による新種のロックンロールは、当時、マージー・ビートと名付けられていた。

ビートルズは、米国産のティーンアイドルが謳歌する時代を塗り替えたが、興味深い事に、彼らの楽曲は、ブラック・ミュージックのみならず、それら、音楽出版社ブリル・ビルディング産の華々しきニューヨーク・ポップスを参照に制作されている。

デビュー時における彼らのロックは、洗練さこそ欠けているが、自作曲を中心に構成された楽曲は、ハンブルクのクラブで培われた躍動感があり、また、音楽性が故郷リヴァプールの土着性に根ざしているという点においても魅力的である。

画像3

Bob Dylan/『Bob Dylan』(1962)

作品評価★★★★(4stars)

ボブ・ディランことロバート・アレン・ジマーマンは、米国フォーク・ミュージックの父と名高いウディ・ガズリーの若き後継者として大手レーベルコロンビアからデビューを果たした。

裕福なユダヤ系の家庭で育ったディランは、地元の大学をドロップアウト後、ビート文学を片手に放浪するかのように、ミネアポリスからニューヨークへ渡り歩き、コーヒーハウスにてフォークへより貪欲に傾倒する。

現在にまで及ぶ長きキャリアの始まりを告げる事となった今作は、詩人としての観察眼から大都会ニューヨークの街角に漂う米ソ冷戦期の空気感を察知し、他のフォークシンガーと一線を画する独特のスタイルを以って鋭く描写した。

画像4

The Beach Boys/『Surfin' Safari』(1962)

作品評価★★★☆(3.5stars)

ビーチ・ボーイズの登場は、資本主義の黄金時代、ベビーブーマー世代、そして、ウエスト・コート・カルチャーを踏まえると、必然的であったと言えるのかもしれない。

バンドコンセプトはサーフブームに便乗する形で成立しており、サーフ・サウンドは先駆者達によるギタースタイルの模倣から構成されている。しかしながら、彼らは、特徴的なジャズ・コーラス・グループ譲りのハーモニー含め、流行や技術を器用なまでにモノにしている。

初期BBの楽観的なポップスは、近年、特に自国において再評価著しい。むべなるかな。それは、眩い過去へのノスタルジーか。

画像5

The Rolling Stones/『The Rolling Stones』(1964)

作品評価★★★☆(3.5stars)

ローリング・ストーンズは、ロンドンのブルース・リヴァイヴァル一派から最初にブレイクスルーしたグループであり、マニアックなブラック・ミュージックの数々をロックのスタンダードなナンバーにまで高めた。

彼らのダーティーなイメージは、強かなマネージャーが計略したものだが、ロックがエルヴィス・プレスリーの復帰以降失っていた不良というモチーフを取り戻した。

ストーンズのルーズで粗暴な演奏は、まるでセミプロのような印象を与えるが、やがてロック史において最も味のあるグルーヴとなり、そして、年老いた現在においてもなお生命力を保っているという事を13年のグラストンベリー・フェスティバルのパフォーマンスで証明してみせた。

最後に、今日ご紹介したアルバムの中からロック史の勃興期を象徴する一曲をセレクトしてみました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?