バイクの思い出

私はバイクが大好きである。
各オートバイメーカーのHPでラインナップを眺めているだけでも、半日は余裕で潰せるくらいバイクを愛している。

私が初めて跨ったバイクは、川口くんのZXR400だった。
川口くんのことは以下で記事にしている。

川口くんは、高校生の時にyahooオークションでZXR400を購入したと記憶している。彼のZXR400の正確な年式は覚えていないが、カウルから判断するに89年〜90年に製造された車体である可能性が高いと思われる。いずれにしろ、ほぼ私たちと年齢が同じマシーンである。


川口くんのZXR400
燃料タンクにはZXRの文字が確認出来る


ZXRの最大の特徴は燃料タンクからフロントカウルにかけて伸びる、2本のダクトホースと言えるだろう。これはフロントカウルに空いた2つの穴(ダクト)から走行中に直接空気を取り込み、エンジンを冷却するというシステムを備えているためだ。


フロントカウルから伸びるダクトホース(右側部分)

改めて写真を見返してみると、当時でも発売からほぼ20年近く経っているにも関わらず、かなり綺麗な車体だったのがわかる。上記の写真はヤフオクで購入してから、早速自慢しに来てくれた時に撮影したものだ。
この時は目立った改造などはなかったが、後にヘッドライトを黄色にしたり、クラクションの音を大型トラックの「プゥー!」というものに変更したりなどのカスタマイズを加えていった。

当時の私はまだ17歳で、普通自動二輪免許はおろか原付免許すらもっていなかったので、実際に川口くんのZXRを公道で運転することは出来なかった。ただ、タンデムシートに乗せてもらい、バイクに乗るという経験をさせてもらえたのはとても嬉しく、新鮮な感覚だった。
スポーツレプリカなので、400ccとはいっても、加速力は凄まじく、今まで経験したことのないスピードと風を肌で感じた。川口くんはバイクに乗っていても破天荒なので、公道でも平気で飛ばすのだ。ZXRは写真でもわかる通り、空気抵抗を減らすように流線型をしている。不要な出っ張りが極端に少ないデザインとなっているため、タンデムシートに座った場合、掴めるところは運転手の体かタンデムシートの縁くらいしかない。
最初はタンデムシート自体に掴まるろうとしたが、急加速、急減速を繰り返す川口くんの運転では、上半身が振られるためかなり不安定な状態となってしまう。そのため、可愛い女の子じゃなくて申し訳ないなと思いつつも、川口くんの腰のあたりにしがみつくことにした。
しかし、川口くんはバイクの運転中に後ろからしがみつかれると、身動きがとれなくなるため、燃料タンクに掴まれと言ってきた。鏡のように綺麗にワックス掛けされた燃料タンクというのは、とにかく滑る。特に川口くんがバイクを飛ばす時は、恐怖と興奮のお陰で脳内にアドレナリンがバンバン出ているので、自然と手汗もたくさん出てくるのだ。
もうこうなると私の掌と燃料タンクとの摩擦係数は極端に減少し、ちょっとしたブレーキでもズルッと手が滑る。すると慣性の法則により私の体は前に押し出されることになるので、目の前に座っている川口くんの後頭部に対して強烈な頭突きをかますことになる。もちろん、お互いヘルメットを装着しているので、ガチン!という軽い音が響くだけで痛くはないが、私のストレスは跳ね上がるのだ。

それでも、バイクに乗るという感覚はとにかくスリイリングで面白く、多少不快でも何度も乗りたくなった。なぜだかわからないが、しばらく経つと食べたくなる二郎系ラーメンのような魅力を感じていた。

すっかりバイクに魅了されてしまった私は、大学2年生の時に普通自動二輪免許を取得した。ようやく念願の免許を取れたことに喜んだが、残念なことに肝心のバイクを買う金がなかった。また、両親からはバイクを購入することをあまりよく思われなかった。
私は家族中で唯一バイクに興味を持っていた異端児だったのだ。両親、祖父母、叔父叔母、親戚のおじさん、家族の誰を見てもバイクに乗る人はいなかった。特に祖父母には、強く反対された。当時、祖父母の家と私の実家は同じ敷地内にあり、お互いによく交流していた。

祖父母はまるでバイクを悪魔の産物であるかのように考えており、バイクの話をしようものなら、「お前は手足を失ってパラリンピックに出たいのか!」と烈火の如く怒った。パラリンピックに出ている選手全員がバイク事故にあった訳ではないし、それぞれ異なった境遇の中で頑張っている選手に対して失礼な発言だと思った。
いつもは、こうした偏見まみれの祖父母の小言を聞き流していた。しかし、私がバイクの免許を取得したと祖父母が知った時に、一度だけ川口くんの悪口を言われて、祖父母と言い争いになったことがある。

口の悪い祖父は「あのたまに来る黒いバイクに乗った奴に影響されたのか?あんなのはすぐに死ぬから放っておけ」と言い放った。川口くんは私に素晴らしい世界を教えてくれた大切な友人だし、「すぐに死ぬから放っておけ」というのは看過出来ない発言だった。

完全に頭に来た私は、「パラリンピックに出ることになっても、植物人間になっても、死ぬことになっても自分の好きなことが出来たなら本望だわ!」と怒鳴り返し、しばらくは祖父母と口を聞かなかった。

そして普通自動二輪免許を取得してからしばらくの間は、学生特有の飲み会と訳のわからない出費が増加したせいでバイクを買う資金を一向に貯められずにいた。しかし、バイクに対する情熱は日々大きくなっていくだけなので、1ヶ月の短期アルバイトで稼いだお金で大型自動二輪免許を取ることにしたのである。
これなら、バイクを買うことなくバイクに乗ることが出来るし、更には大型自動二輪免許を手に入れることも出来ると、意気揚々として自動車学校の門戸を叩いた。

教習所で久しぶりに跨ったバイクの感覚、そして400ccとは違ってずっしりとした重みを感じる教習車のCB750の車体に私は武者震いした。そして、タンクをさすりながら一言、「ただいま」と呟いた。



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