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成長には痛みが必要?

まず、誤解のないように言っておきたい。
指導という名目で生徒を殴る教師を僕は肯定する訳ではない。

ただ、時として、痛みが人を成長させるという側面があるという観点から言えば、鉄拳制裁は必ずしも間違った指導ではないのではないかという考えがあるということだ。
もちろん、先日のニュースになっていた、頭蓋骨を骨折させたり、激昂して寝技で失神させたりみたいな行き過ぎたものは言語道断ではあるが。

中学生の頃、口よりも先に手が出てしまう同級生がいた。腕っぷしが恐ろしく強かったので、手を出された方もやり返すことが出来ず、暴力を甘んじで受け入れるしかなかった。ある日、体育の授業中にクラスメイトが誤って彼にボールをぶつけてしまったことがあった。案の定、そのクラスメイトが「ごめ…」と言った頃にはもうすでにこめかみに彼のハイキックがめり込んでいた。すると、鬼の形相をした体育教師が猛スピードで彼の前に来て、無言で彼にビンタをした。あまりに突然のビンタだったので、彼も呆気にとられて、一歩後ずさりした。その後ずさりに合わせて体育教師が一歩彼に近づき、もう片方の頬をビンタした。体育館は鎮まりかえる。音のない体育館に反響するビンタの音。僕の目にはその光景がスローモーションのように映っていたのを覚えている。また後ずさりする彼。追いかけてビンタをすること体育教師。結局、彼はバスケットコートの端から端までビンタで追い詰められた。そして、体育教師が言った。「お前何したか言うてみい」彼が答えた。「蹴りました」「何でや?」「腹立ったからっす」「俺も腹立ったからお前どついてんねん。ええやろ?お前と同じことしてんねん」そう言って体育教師がまた彼にビンタをしようとすると、彼はそれを腕で防いだ。すると、体育教師はもう片方の手で頭をゲンコツで殴った。「やめてください」彼が言った。「腹立ったからっていきなり殴られたら嫌やろ」「はい」「二度とすんな。ええな」体育教師はそう言って、パンパンと手を2回鳴らし、「再開!」と言って元の位置に戻っていった。

今なら、間違いなく体罰と言われて問題になっていただろう。たしか、その頃は体罰という言葉が流行り出す少し前のことだった。
先日、ビンタを喰らった彼とこの出来事を話していると、彼はこう言っていた。
「あれは、俺の成長過程においては必要なビンタやった。指導が体罰か、と言われたら体罰かも知らんけど、あの頃の俺にはあれが1番効果的な指導法やったのは間違いない」

この先生の指導が正しかったかどうかは分からない。恐らく、この出来事がなくても彼はどこかのタイミングで人の痛みが分かる時が来ていただろう。ただ、全部が全部間違いだったという訳ではないのではないだろうか。誰かにとっては正しい指導でも、誰かにとっては間違った指導である場合もあるし、教育というのは本当に難しいと思う。ましてや、些細なことでも、すぐに問題になるようなこの時代。教育には解なしといったところでしょうか。

それではこれにて。

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