自分の属性定義は必要?

https://news.yahoo.co.jp/articles/b744271a1792a1d2cd59bed1244e76228b5fa4c8?page=1

「性の秩序」が邪魔だねぇ。
男か女かという二者択一しか認めない「性の秩序」の中では、ヘテロやシス、異性愛だけでなく、実は同性愛や両性愛(LGB)も比較的生きやすい。偏見はあるが。

性同一性障害は昨年、WHOによって「障害」ではなくなったが、日本の法律では「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律があり、「障害」の扱いのままになっている。勿論、国際機関で決まったからすぐ国内でも対応を、というのは必ずしも正しくはない。でも精神病として扱われ偏見の上に偏見を塗り重ねるような事態は回避できるんだと認識できる。

「T」トランスジェンダー、トランスセクシュアル、トランスヴェスタイト…は例えば「女として生まれたけど、心はずっと男のままで、肉体に強い違和感を感じる。だから心の性に体の性を合わせる(FtM)」みたいな場合(逆ならMtF)、結局のところ「男か女かという性の秩序」に組み込まれている。性「適合」手術という言い方からしてそうだ。

この記事の人も、「男か女かの性の秩序」の中で、「女としてのロールモデルに違和感があるから男に」と、自分の中で二者択一を迫られたのかもしれない。

でももっとたくさんの人生のロールモデルを見ていれば、もっと心や発想が自由だったら、法的な(戸籍上の)性なんてなかったら、そしてシスによるホモソーシャル(女らしさや男らしさ)が当たり前ではなくなっていたら、辛い思いをせずに済んだかもしれない。

「LGBT」でも「LGBTQ」でもいいけど、何かを定義してそのカテゴリーに自分を入れるということ=カテゴライズは、結局のところ自分をその秩序に組み込むということに他ならない。私は「Xジェンダー」としているけれど、私は私であり「性の秩序」を徐々に相対化しつつある。

性は絶対の秩序じゃない。自分をカテゴライズして安心できる人はそうしたらいいけど、既存の(あるいはこれから生まれる)カテゴリーに適さない場合はいくらでもある。

自分を定義して掛かるのはあまりに危険だ。

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