未知を見る方法と感覚
最近何となく文明の歴史を振り返ってて、何故アフリカは人類発祥の地だし川とかありそうなのに古代文明が無いんだろうと思ったけど、ググったらジンバブエとかマリとかありそうだった。
それで、歴史は勝者によって書かれるから、どちらかと言えば敗者っぽい側の歴史は極東の私まで届いてないんだろうな等と思った。
ともすると世界の知は割と知られ尽くされてしまった感覚になりがちだけど、例えばここで言う"敗者の歴史"(と言う程ではないのかもしれないけど)とか、最近だとLiDARでマヤ文明の遺跡が見つかってるとも見かけた。これも、これまでそこまで発展してない所に最新の光を当てて色々見えてくる例に思う。
人類が科学的に飛躍的に発展したのはここ数百年の話だし、例えば黒船だってほぼ帆船だし、日本に至っては侍してたのに約160年後、80歳2回分の後にどちらも宇宙船をバンバン打ち上げてる。まだ光が当たりきってない所に光を当てればまだまだ新しい物事は見えそう。
"敗者の歴史"等と言うと何だか落ち着かないと言うか、何も分からないし、不安になりがちだけど、先日おげんさんが再放送で暗闇で不安な中に居る時は最先端に居る時で、目標が見えてる時は誰かの真似をしてる時、のような事を仰ってたけど、確かにこの何も見えずに不安な感じが未知を見てる時なのではないだろうか。
未知を知るとか、未知を生むと言う程大それた事はすぐにはできないかもしれないけど、少なくともこれまで照らされなかった所を見れば未知は見えそうだし、暗くて不安な感じが未知を見ている感覚なのではないだろうか。そしてその入口は最初のような素朴な疑問な気はする。
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