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チコちゃんと自由研究

先日チコちゃんに叱られる!の再放送を観ていて、日本の自由研究はかつて短い期間科目だった事を知りました。

戦後に経験主義で色々経験してみる授業として疑似的に買い物等をさせていたが、高度経済成長期で科学等の知識が必要になり、体系的に知識を教える教育に転換したと。ただ、残したいと言う先生達により夏休みの宿題になったと。

これまで自分は日本の自由研究を批判してきましたが、なるほど、それを踏まえるとやはり理解を深める意味の研究で、大学(院)等で行う科学研究とは意味が異なりそうです。

ただ、そもそも戦後にデューイの経験主義教育等に感化されて自由研究を科目にし、学力が不安だからと知識偏重に変えた、軸の無さは指摘したいです。

バズワードに振り回されて前進しない様は、web3やメタバース等のバズワードに振り回されてるだけの現在も進歩が無いのではないでしょうか。

何となく経験する事の効果は分かりませんが、自分としては牛乳パック工作等が身になっていない事、フランシス・ベーコンの記事で述べたように、僕はこう思うと言った妄想をベースに論理立てても役に立たず、実験と観察で確実に人類の知を増やして行く事が大事と言う事は数百年前の科学革命から確立している事は指摘したいです。

今の知識偏重教育では全ての事に既に答えがあると錯覚してしまい、既存の答えに見えるバズワードに振り回されるだけになってしまうと思います。

知識は筋肉のように頑張れば確実に付いて行くから、それ自体は楽しく、クイズ等も流行るのでしょう。ただ、既存の知識を暗記している人が増えても、人類にとってあまり嬉しくありません。既存知識は全てネットにあるような現代では特に。

同じ頭の使い方として、実験等で新しい知を生む教育を行い、それにより自ら新しい物を生み、イノベーションを起こして行く事が経済的にも重要だと思います。


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