イギリス医学部に入学するまで

※今回の記事は完全に自己満・自分語りの記事でございます。今までのように有益な情報は無いと思いますので、その点ご了承しただけると幸いです。

みなさんお久しぶりです、まいたけです。ここ最近イギリスに向かう準備でいろいろと問題があったり忙しいのですが、そのストレスを紛らわすことも兼ねて今回の記事を書いていこうと思います。今回の記事では今までのようなIBに関する情報・コツというよりは、完全な自分語り回となります。理由はー急に書きたくなったからです。こういうのが苦手な方は全然ブラウザバックしていただいても構いません。

自分はとてもとまでは言いませんが一般的な高校生が経験しないようなことを沢山してきたと思うし、なにより自分は生まれて一度も日本に住んだことが無いことに加え、少なくとも今現在そうする予定もありません。その分、多くの帰国子女や留学生と違うことを経験してきたと思います。

というわけで、今回の記事では僕が経験してきたことについてだらだらと書いていこうと思います。最後までお付き合いいただければ有り難いです。

まいたけ、誕生

ツイッターから僕のことを知っていただいている場合はこのことを知っているかもしれませんが、実は僕、日本と中国のハーフでございます。そして実は生まれも日本では無く、2005年に中国で生まれました。

親の話によると生まれてすぐに肺炎にかかり一ヶ月ほど入院したそうですが、無事それを乗り越え、すくすくと育ちます。最初は当地の中国の保育園に入っていましたが、いろいろと理由がありちょうど同じ都市にあった日本人学校の附属幼稚園に入園しました。

中国に住んでいた頃は日常で中国語、幼稚園で日本語という感じでしたので、自然と二ヶ国語を話せるようになりました。今考えてみれば自分が複数の言語を話せるのはやはり環境に恵まれていたからだと思います。

そのまま無事2011年に卒園し、ここでまず僕の人生の序章が終わり、メインパートに突入します。

韓国へGO!

2011年に卒園してすぐに僕は親の仕事の関係で観光に移住することになりました。そのときどう思ったのか覚えていませんが、あのときの僕はおそらくなんとも感じていなかったと思います。

もちろん韓国語も全くわからない状態だったので、僕は付近にある日本人学校に進学しました。韓国にはいくつか日本の文科省が管理している日本人学校があり、その一つに2011年の4月に入学しました。

小学校を通っている間、僕はいろんな習い事にも励みました。例えばテコンドー。韓国生まれのスポーツなので韓国にはそこら中に道場があります(冗談抜きで10分歩いたら1〜3個は見つかる)。小6頃まで続けていたおかげで実はテコンドーの黒帯でございます(全然使えないけど)。その他にもピアノは幼稚園の頃に始めたのですが、韓国にきても続けることにしました。

習い事の中でもおそらく一番有意義だったのは英語の習い事だと思います。しかし、英語が習えたから、なんて理由ではありません。実際韓国の英語の塾で習う英語はいわゆる「テスト用」であり、実用的なものでは無いからです。じゃあ何が良かったかと言いますと、そこで「韓国語」を習えたからです。何を言っているのか説明します。

まず、僕は英語を習おうとしますが、授業は完全に韓国語―英語を理解するには韓国語を理解することが必要条件だったのです。ただ、やはり子供の頃の頭は柔らかいのかわずか一年ほどで韓国の友人とコミュニケーションが取れる程には言語を習得することができました。そのため僕は英語の塾で韓国語を習えたと言っても過言ではありません。

学校での勉強も楽しかっです。いま思うと僕は小学生が全盛期だったかもしれません。勉強熱心だったし本も沢山読んでたし、なにより女子とも話せt―おっと、ここはそういう話をするところではありませんでしたね。本題に戻りましょうか。

その日本人学校は一応小学と中学の一貫校でしたが、小6を卒業する間近で僕は再び転校をすることになります。いままで実質日本の教育を日本語でしか受けてこなかったこの自分ですが、親の考えもありその都市にあったインターナショナルスクールに入学することになります。

日本語から英語へ

最初のインターはアメリカ式のものでしたので、学年は「Grade」制でした。日本のカリュキュラムからインターに転校するとき、一つ面倒臭いのは「年度」が始まる月です。日本は4月入学ですが、それ以外のほとんどの国では9月入学制度が採用されています。そのため、1月頃に転校した僕は本来入るべきであるGrade 7に転校するのではなく、あくまでも勉強に追いつくのが最優先ということで一つ下のGrade 6に入学することを決めました。この判断が後に響いてくるということを知らずに…

しかし正直この学校ではなにかを「習った」というような感触はありませんでした。そもそもこの学校は進学というよりはそこにいる外国人のための学校という感じのほうが強かったので、そこで習う内容はすでに知っているものが多かったです。英語力もそこまで重視されておらず、まるで英語を話せなかった僕でさえ英語でそこそこの成績を出すことができました。

そこで僕の親は進学のことも考えてか、韓国の中でもそこそこ有名なインターに転校することになりました。この学校は入試制度もあり、前の学校とは入学の難しさが桁違いでした。最初はウェイトリストで即合格とは行かなかったのですが(おそらく英語力のせいだと思う)、無事空席ができたということで繰り上げ入学という形式で入学することになりました。

人生初の挫折

この学校はイギリス式で、IBの前であるMYPのかわりにケンブリッジ大学が監修しているIGCSEをやります。先程、僕は一年下の学年に入学した、と言いましたよね。しかしこの学校は完全に生年月日で学年を決められ、よほどの事情が無い限り自分の生年月日に当てはまる学年にしか転入が許されません。学年的にはIGCSE開始の一年手前であるYear 9に入学するはずだったのですが、生年月日に基づいたため直接Year 10に入学し、IGCSEを始めることになりました。

正直、この学校に入学した頃は成績がとんでもなく悪かったです。この科目だけは行ける!とかではなく、まんべんなく「終わった」成績でした。今となっては超得意な数学ですが、最初は英語と問題の形式に慣れていなかったのか、成績が1から7のうちの2でした。それだけではありません。生物の初テストも42%で、今でもその点数を覚えているほどショックでした。

自分はその時まで日本人学校でもインターでも成績は校内上位を維持していたせいか、人生で初めて平均以下の点数を取ったことがが衝撃的でした。このとき点数が取れなかった理由としては、1.いままでは英語が得意でなくてもなんとか誤魔化せたが、この学校では知識量がそもそも足らなかった、2.実質一学年飛び級している、の2つがあります。

そもそもこの学校はそこそこの進学校なので、Year 10からのはずのIGCSEの内容の序盤はすでにYear 9で終わらしています。そして僕は実質Year 8までの知識しかないので、転校した僕にとって授業は何一つ分からない状態でした。

ただ、このショックが効いたのか、それを機に僕は初めて人生でがっつりとした勉強を始めました。そもそも僕はそれまで「勉強=授業聞いとくだけ」という認識だったのですが、やはり上を目指すにはもっとしっかりとした計画が必要だと痛感させられました。特に知識量が成績に比例する理系科目には力を入れた覚えがあります。

その結果、無事周りに追いつくだけではなく、追い抜くことすらできました。流石に校内トップ常連ではありませんでしたが、それでも数学のクラスも一番難易度の高いクラスに入ることができました。唯一の問題といえば、時間割の都合上美術を選びざるを得なかったのですが、過去に絵描き教室まで通ってもその才能の低さにドン引きされた僕の画力は壊滅的なものでしたので、最終的にIGCSEの成績もCでした…

そしてIBへ

IGCSEを終えたあと、みなさんご存知の通り僕はIBに進みました。というかこの学校はIGCSEとIBという多少変わったカリキュラム(普通はMYP→IBもしくはIGCSE→A-Levelが多い)でしたので、IB進学以外の選択肢はありませんでした。

さすが進学校というべきか、IB開始と同時に大学に向けた学校のサポートが始まりました。自分に担当の進学専門の先生が割り当てられ、その先生と周期的にミーティングをしていました。これでも自分は遅かったほうで、IVYリーグやオックスブリッジを目指していた人たちはYear 10、11の時点ですでにこういったことをしていたそうです。

IB二年目に入ると、そこからはもう大学やら勉強やらで忙しくなっていました。とは言っても、僕は全然長時間勉強する人ではないので、日本の受験生のように毎日のように塾に通ったり7時間や10時間のような勉強はしていませんでした。ただ単に毎日2、3時間だけコツコツ勉強をしていただけで、全然IBは乗り越えることができました。

IBのテストのだいたい2,3ヶ月前から本格的な復習が始まります。しかし、生物と化学は内容が多いのと内容がハードだと感じる生徒が多かったため、先生たちも時間を使って授業をしてくれていました。もちろん分かりやすくはあったものの、その分時間に余裕がなくなったのも事実です。実際生物なんかはテストまで半月切った頃にやっと全ての内容を学び終えました。

ここからは特に話すことはありません。勉強して、テストを受けて、大学に合格した、という流れです。以上で、約18年間、僕がイギリスの医学部に合格するまでの話でした。

さいごに

最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます。自分以外誰の得でも無い記事でしたが、それでも楽しんでいただけたら幸いです。まぁ、一つこの記事から得られるものがあるとしたら子供の頃の環境がいかに重要かということです。自分が四ヵ国語を話せるようになったのも別に頭が良いからでは無く、話せるようになる以外の選択肢が無い環境で生きてきたからです。こんな環境を与えてくれた親には感謝しかありません。

本当はもっと小学校や一つ目のインターで起こった色々な出来事についても話したかったのですが、とても一つの記事の分量に収まり切らないのでまたいつか、時間のあるときにゆっくりと書いていけたらなと思います。

それでは、改めて最後まで読んでいただきありがとうございました。おそらくイギリスに行く前の最後の記事となりますが、頻度は少なくなるものの向こうでも相変わらず記事を書いていくと思いますので、これからもよろしくおねがいします。それでは、まいたけでした。









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