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にわのにわとりをたべた話

いつかのお昼ご飯。

庭の鶏をキャベツや人参と煮たもの。いつどのタイミングで屠殺されたのか分からないけど、気づいたら 鍋の中

たぶんお昼ご飯になってくれたのは 羽根は白く肌が黒いタイプのヤツ。手を使って食べないといけないくらい 歯応えがある肉。めっちゃ歯に挟まった。小骨も多くて食べにくかった。なんだかみんな、いつもより静かな雰囲気。せっかくここまで生きたアナタを無駄にしたくないから、隅々まできれいに食べたよ

伐草中にミミズを食べに来たうちの1羽だったのかなぁとか、意思の疎通はできないけど 同じ時間と場所を過ごした生き物を食べるというのは 日本じゃなかなか出来ない経験で、日常で生死を実感できる環境に居られるのは本当にありがたい事で、ここに来て良かったなと思う。

肉は肉だからスーパーで売ってる肉と実質変わりは無いんだけどね。生きていた時のソレと関わりがあったかどうかの違いで。スーパーで売ってる肉の方が柔らかいし食べやすい。ただ、あれは食べる為の肉で、生き物として感じられない

またある日、阿媽が卵を並べてた。光景は卵売り場と変わらないはずなのに、鶏になれなかった命をたくさん食べているんだなぁと。当たり前のことを意識したりもした

農的な生活を好むのは、生かされて生きてる事を実感し続けたいからだと思う。毎日暑いし焼けるし、蚊にいっぱい刺されるし、単純作業の繰り返しだし、育つの時間かかるけど、自分の力でどうにもならない事に巡り会えるから。って、かっこつけるのはヤメにして、自分で消費する分くらいは自分で作れるようになりたいですねー

私は怠けるしさぼるし流されるから、便利な場所が嫌なんだと思う。嫌いな自分を感じたくないからね。快適な場所に居続けたいし、可愛い服を見つけたら欲しくなるし、コンビニあればとりあえず寄っちゃうし、市場調査と称して新作チョコやアイス買っちゃうし。もっと強い自分だったら都会で生きていこうと思ったかな

他の生き物を食べて生きていくのが申し訳ないくらいの人間なのに死ぬまで生き続けないといけなくて、他の生き物を食べてることを頭では分かってるのに感覚を忘れてしまうから、生死を感じられる環境で生きたいんだろう。でも美味しいものは好きだし、どうしようもない

植物を育ててると ちょっとだけ、ほんのちょっとだけだけど償えてる気がする。

もし望む環境で育ったとしたら、例えば途上国、例えば縄文時代に産まれた私は何をしたかったろう

今の日本は生と死が遠い。すこし前まで、人は家で生まれ、家で死んだ。村には火葬場があって、ちゃんと焼けたか火の守り番したとか、動物殺すのはじいちゃんの役目だったとか 人間を含めた生死の話を沢山聞いた。

死を経験することに耐えられないから 綺麗に切断されたパッケージングされたお肉を売るようになったんだろうか。

野菜だったら「採れたてでおいしいね」って手放しで喜ぶのに。なんでだろう。

お肉それなりに好きだしこれからも食べていくとは思うけど、 肉を取り巻くリアルな事を感じながら忘れないで持ち続けたい。って、それが当たり前になったら次は何が待ってるんだろ

毎日菊の芽についた小さな虫を潰しながら、死んだら見知らぬ場所で見知らぬ人に焼かれて灰になって壺に入れられて埋められるよりか、虫や動物に食い殺された方が断然マシだなぁと考える、あ、でも私おいしくないかも

この1ヶ月でそれだけの虫を殺し、素手で潰すことにも慣れてしまった。どうせ死ぬなら巡りたいね。私に成分としての価値があるなら

これからjovyと街に出て、たぶんチキンとタピオカジュースを買う。毎日消費するばっかりで、いくら償っても足りないね

苗栗も残すところ1日。

#台湾 #鶏 #WWOOF

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