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タモリが言って話題の新しい戦前について対談した本「新しい戦前」

本(新しい戦前)(長文失礼します)

民主主義が形骸化して閉塞感が強まる現代の日本を「新しい戦前」と呼び、その現状を論考した本です。タモリさんが言って話題になった「新しい戦前」ですが、この本では論客の内田樹さんと若手の政治学者、白井聡さんによる対談形式で進行し、様々な角度から「新しい戦前」の問題点を議論していきます。

最初に今日の政治の劣化は、国民の政治への無関心が最大の原因であると述べています。
次にロシアによるウクライナ侵攻を受けて、「新しい戦前」として中国の台湾侵攻の可能性が議論されますが、台湾が侵攻された場合、アメリカと同盟関係にある日本が中国軍と交戦できるのか。対談では中国は輸出入とも最大の貿易相手であり、戦争などできる訳がない。つまり戦争となれば輸出入が全面的にストップし、日本は経済が回らなくなって即死状態になると結論付けています。

それでも、合理的計算を超えて戦争は発生する、これが歴史の教訓とも述べており、太平洋戦争に突き進んだ戦前の日本がまさにその例と言えます。

次に民主主義の形骸化に議論が移りますが、民主党政権の挫折による国民のトラウマのバックボーンと、安倍氏個人のカリスマ性により長期政権となった訳ですが、同時に安倍政権により日本の民主主義は終わったと、日本は途上国によくある独裁体制の腐敗国家に近いものにまで堕落するのではと予測しています。

国会で118回もの虚偽答弁をした安部元首相は、国会を「権力者であれば、いくら嘘をついても処罰されない場所」にまで格下げした。国権の最高機関である国会の威信を劣化させたとしています。こうすることで立法府(国会)の威信が低下すれば、相対的に行政府(内閣)の力が増し、独裁体制が進むことになる。こうした傾向は、政府そのものが歴史修正主義に加担しようとする面でも確認することができると指摘しています。

こうした閉塞感に包まれた現代では、日本維新の会が台頭した根拠とされる加速主義が横行する現象があると分析します。加速主義とは資本主義の末路を見るものであり、日本社会の末期的な風景を早送りで見たいという好奇心であるとも定義しています。これは、かつての世紀末芸術の虚無感にも通じるものがありますね。自虐的になりながらも次の時代を見てみたいというような。つまり現状に対する焦りや虚無感から、まだ見ない未来への一種の賭けでもある訳です。誰も予想しなかったトランプ政権も、ある意味加速主義の末路かもしれません。

こうした加速主義による閉塞感は、論壇にもその兆候が出ています。売れっ子と言われる論客たちの多くは論点をずらして、質問する相手に無力感・屈辱感を与える技術に長けている。自分の実力以上見せようとする人間は決して創造しない、破壊するだけと、加速主義にも通じる末期的な現代の論壇の不毛さを嘆いています。

普通選挙を前提にした民主主義では、景気の悪い話は構造的にできないと指摘し、シルバー民主主義など選挙と民主主義の関係の問題点についても述べていますが、独裁体制の腐敗国家に堕落しないためにも、「新しい戦前」の現状を把握して理解し、各個人が民主主義を死守するために、政治に関心を持ち、どのように意思表示していくのかが改めて問われていると思います。

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