「25歳のときなにしてた?」Vol.1:芝生農家たまちゃん
-プロフィール
鳥取県大山町出身、山上環(やまがみ・たまき)あだ名はたまちゃん。
芝生農家を営んでいた父から「芝生はこれから需要が減るから実家には帰ってこなくていい」と言われ、大学卒業後、岡山県にある産業廃棄物のリサイクル会社に就職。30歳のときに会社を辞め、地元である鳥取県大山町にUターン。同級生に「芝生は野菜みたいに加工して販売できないから、先が厳しいよね」と言わたことに火がつき、芝生を切ること以外で価値をつけると決意。その後、芝生農家を継ぎ今年37歳であるたまちゃんは「AONIWA」の経営者である。芝生のレンタルスペースの貸し出しであるスカイテラス大山、泊まれる芝畑のトマシバを運営している。また、自身の趣味で一昨年よりミニ四駆のレース運営も行っている。
今回はそんなたまちゃんに「25歳のときなにしてた?」と尋ねてみました。
ーどたばたな毎日。それさえ楽しんで過ごしていたー
解決することが楽しい
-早速ですがたまちゃんが25歳のときなにしてましたか?
たまちゃん:25歳のときは、農業生産法人の営業に1人で1から入った年ですね。勤めていた産業廃棄物のリサイクル会社が岡山市の本社近くに農業生産法人を立ち上げることになったんです。それで会長から「山上くんは実家農家だから農業法人の営業をやってくれないか」って言われたんです。
そのときは昇給してたから、入社2年目で結構手取りがよくなってたんですよ。ただ農業法人になる時に今の働いている会社とは別になってしまうので、給料を元々の本社の優遇された給料ではなく、会長に「農業法人の新たな給料でやってくれないか?」と言われたんです。
そしたら新卒ぐらいの給料に落ちたんですよね。その代わり頑張ったら上げるから、やってもらえんかって会長から頭下げられて。ちょっとブラックだなと思いながらも「やったらやった分もらえるんだったら、その分やりがいある」ってなって「給料もらえるために稼ぎます!」ってOKしました。
だからとにかく当時は、覚えることがいっぱいで動き回ってました。
-具体的にどんなことをしていたんですか?
取り扱っていた作物もめっちゃ多くて、米から味噌、南高梅、途中から蜂も養蜂して、健康食品や、ミニトマトを主として他の野菜もしてたしね。それらを直売所で売るっていうことをしていました。直売所は岡山市と津山市と2店舗構えて両方で売ってたんです。そこの直売所の納品もいかないと行けなくて、岡山市で商品を積んで、津山市で納品してまた岡山市に帰ってと行ったり来たり。移動しまくりでした。
ーすごいどたばたですね!
たまちゃん:てんやわんやだったけど面白かったし、それを楽しみながらやってたんですよね。新しいことにチャレンジするのが好きだし、学生の頃から課題解決もすごい好きで、何かを解決したいって言うのはめっちゃ持ってたんです。だから会長がどんどん事業とか持ってくるのに対して「うわぁ、なんだよこれ!」って思いながらでもちょっと面白いなって思ってました。
人生を見つめ直すことを決めていた
-25歳のときに将来に対してどんなことを考えていたんですか?
たまちゃん:ちょうど25歳のときは、30歳で結婚したいと思ってて、30歳になったら1回人生を見つめ直そうと考えてたね。それに人の下で働き続けるっていうのは、多分自分の性格的には合わないだろうなっとも思って、30歳で社長になれるぐらいまでのレベルにいかなかったらその会社を辞めようとも決めていたね。だからいろんな過程を踏まえて、実際30歳で大山に帰ってきたしね。
30歳で見つめ直そうと思ったのは、誰からか言われたとかではなく自身で決めたんですか?
たまちゃん:そうそう、自分で考えてた。
なんか「それおかしいよ」とか「30歳のときにいい人いるかもわかんないし、その人がいい人かどうかわかんないじゃん。慌てて結婚してもダメでしょ」とかも言われたけど、でも「結婚してみないといい人かどうかってわかんないじゃん」って思ってたし、30歳で結婚するって出会った人は運命的な人だと思えるなと思って。
-将来に対して焦りや不安はなかったんですか?
たまちゃん:無理やり動き回ってたから不安はなかったですね。
それにやりたいなって思うことが多いんで、興味関心があるうちは大丈夫かなって思ってました。これが好きだな、これなら一生続けててもいいわってみたいなのがあれば、生きててもなんか面白いと思うしね。
でも、30歳で結婚したいとか言っといて40歳とかまで結婚相手が見つからなかったらどうしようとかって言う不安はあったけどね笑
気付いたらもとに戻ってた
-25歳の自分が今の自分をみて、1番予想していなかった出来事はなんですか?
たまちゃん:25歳のときは芝生農家を継ぐなんて100%思ってなかった。
そのときは、昔の自分からどれだけ進化できるかって思ってたのよ。
すごい人って、進化し続けて全く新しい自分になってる人だと思ってたから。
でも今考えてみたらやってることは、小学生の頃から変わってないかもって。芝生の仕事手伝って、そのお小遣いでミニ四駆を買いに行って遊んでたわけだから今と一緒だよね。だから原点回帰したなって思うね。25歳のときに原点回帰することは想像できなかったし、自分の中で1番大きな出来事かな。
でも、やってることは一緒なのにすごい楽しく生活できてるのはいいことだよね!
-最後に、今年で25歳になる私にメッセージをいただけますか?
たまちゃん:25歳のときは自分の幸せとかあんまり考えてなかったんだよね。どうやったら、親とか彼女とか周りの人からいい評価をえられるかとか、認められるかとか、大人として見られるかとかそればっかり考えてた。
「ちゃんと働いてないとダメだ」とか、「いいところで働いてないとダメだ」とか「お金稼いでないと」とか、いろいろあるけど結局「誰のためにやってんの?」って言うのがあやふやだったんですよね。
だから「自分が幸せなのは何だろう」って考えることって大事だなって思う。そうするとやった方がいいことが変わると言うか、ビジョンが見えてくるしね。
だから、
「幸せを見つけて欲しいです、自分の幸せを探究して行って欲しい」です!
話し手:山上環
聞き手・書き手:増井結花
※文中の記述はインタビュー当時の内容です。
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