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価値観について

個性やこだわり、自我や頑固。世の中にはいろんな言葉で自分の意志を表現している。
この言葉で評価を受けることが、社会人になってから極端に増えてきた。

「個性ありすぎだよね」
「頑固で自分の意見を曲げないよね」
「頷いてばかりだけど、自我はないの?」
「こだわりがないよね」

これは私に向けられた評価の数々なのだが、あまりにも統一感がない。
個性があるのに、こだわりはなく、頑固なのに、自我はない。
オブラートに包むということをよく聞くけれど、つまるところ私への評価としては常識がないし、意見もないということになるのだろう。

小さい頃から、普通はそうじゃんということが理解できた試しがない。普通はそこで怒るはずとか、普通はそこで笑わないとか、普通は泣くとか、普通は反抗するとか、普通は、普通は、普通は。幼い頃は普通に憧れていたけれど、今は正直くそったれと言いたくなってしまう。そうやって自分の価値観押し付けてんじゃねーよって。社会人になってから、そういう事態が増えてきた。普通は一度見たらできるよとか、普通に考えたらこうはしないとか、普通に相手ならこう思うでしょとか。責任が増えて言いづらくなったけど、あえて言いたい。自分の価値観押し付けてんじゃねーよ。

常識という言葉と普通という言葉はある程度の類似性を持っていると思うので、私への評価なんてくそくらえだ。常識じゃなくて、課題をもってこい。感情論じゃなくて、理論をもってこい。私がいつも要点に絞って理論でまとめると、みんなこう言う。そうじゃないんだよな。じゃあ、なんなんだよ。言語化できないことって、そりゃあたくさんあるんだろうけど、言語化できないことで相手を怒るのはなんだかおかしいと感じてしまう。

立場が違えば価値観も変わって、歳を重ねれば見える景色も変わる。私はまだまだ未熟だし、変なところでつまづきすぎているかもしれないけれど、一歩ずつ着実に前に進んでいる。
そんな私の価値観を無視するのは、変だと言うのは、やはり何かおかしいと感じる。

高校生を見てそのお洒落はよくわかんないとか、その言葉遣いは意味がわからないとか、そういう人になるんじゃなくて、なぜ?どのように?と興味を持っていきたい。これから私には理解できない価値観が増えていく。そんな価値観に対しても、受け入れる姿勢を持ち続けていきたい。


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