自分との闘い

怖がっている。
今ではもう在宅勤務が当たり前となり、出社するなんてこともまったくなくなった。
通勤時間が浮く、自分の時間を多く確保できるメリットが大きい。だが厄介なのが、質問するのに躊躇するようになった。正確にはより躊躇するようになった。

元々、質問をしに行くのが苦手だった。有識者と対話する際、何か怒られるのではないか?突っぱねられるのではないか?と妄想しがちであった。そしてその気持ちのまま質問をしに行くと頭の中の考えやそこから紡がれる言葉がまったく出て来なくなってしまうのだ。当初のイメージでは、きちんと順番も考えて積み木を組み立てていたのに、いざ前にすると、頭がパニクって目に見えた積み木をジャンジャン組み立ててしまう感覚である。作り上げたときには自分も相手と一緒にわからなくなってしまうのだ。
しまいには、「日本語を勉強してうまくなろうね」と言われてしまう始末だった。僕は「はい、、」と言わざるを得なかった。
最近では、会話しながら「あ、今、整理できていないな?目の前に見えた積み木を闇雲に組み立ててるな」と気付けるようにはなりましたよ。

今だとリモート。質問をするにも相手の顔を見なくて安心。とはいかなかった。相手の様子が見えないからこそ、質問をするタイミングや質問を投げかける1投目が難しい。
私はよく、「Aという考えがあるけど、Bという考えもある」という複数の功罪と選択肢があるパターンに困ってしまう。
なぜなら、チャットで説明しようとすると文章がかなり長くなってしまうから。そもそもそんなにうまく表現が出来ないから、途中で何と表現したらよいか、で挫折するだろう。
では、「通話(会話)が可能か?」と相手に伝えるのはどうか?
また緊張して失敗して「日本語を勉強してうまくなろうね」と言われるのが不安で仕方ない。

いや、そんなもんトライアンドエラーを繰り返して成功したときの喜びを味わうために頑張れよ、というのはわかっている。
いや、わかっていないな。今この文章を書いていて思った。
ただ、失敗してしまうのではないか、躓いた時に誰かに揶揄されるのではないかと行動する前に妄想してしまうのだ。

「出る杭は打たれる」
何かしらの行動すると必ず第三者からの攻撃や邪魔をされるが、
僕はいつも行動前にその可能性があるのではないかと不安を感じている。行動するときの視線も気になるし、行動した結果に揶揄されるのではないかと不安がってしまうのだ。
やりたいことがあっても行動に移した後を想像して怖くなってしまう。
いざ、立ち向かって進んだとしても集中力みたいに途中で切れてまた不安がってしまうのだ。

しかし、
「出る杭は打たれる」は
「才能のある人は妬まれる」と意味される。つまり、
「出る杭は打たれる」に気持ちを持ってかれると、イノベーションは望めない。
また、「出る杭は打たれる」は言い換えると、「行動すれば叩かれる」と言える。ベンジャミン・ディズレーリ(※)から引用した言葉(※※)のように行動なくして幸福は生まれないし、創造も生まれない。
つまり、ずっと0のままになってしまう。
行動することに恐れてはいけない。恐れて立ち止まってはいけない。
傷つくこともあるだろうけど、長い目で見れば幸福が訪れるかもしれない。目先よりも未来を信じて1つ1つ挑戦していけばいい。

(※)
ベンジャミン・ディズレーリは、イギリスの政治家、小説家、貴族。
[wikipedia]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%BA%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%AA
(※※)
行動は必ずしも幸福をもたらすものではない。しかし、行動のないところに幸福はない。
Action may not always bring happiness; but there is no happiness without action.
ベンジャミン・ディズレーリ「ロセア」より

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