GIGAファクトリーギアオープン!
「GIGAファクトリーギア神戸」が2024年3月1日にオープンしました。
ホームセンターでもない上質工具専門ショップが350坪という
スケールで神戸の六甲アイランド、それも廃墟といわれたショッピングビルにオープンする。
無謀ともいえるお店が果たして支持されるのか?
オープニングセレモニーでは、市長やオーナーさんのテナント紹介で、
まだオープンしていないスーパーの名前や100円ショップの名前は
出たものの、「ファクトリーギア」の店名は全く紹介されることなく、
さらにビルオーナーの担当者は、私の名前を間違えるという位に
注目をされていませんでした。
そして迎えた初日、平日にも関わらず、オープン前から50人を
超える列が出来ました。
いつもなら、ここで感動で身震いしたり、涙がこみあげてきたり
するのですが、そんな余裕は全くなく、あっという間に伸びて
しまったレジ待ちの長蛇の列に申し訳ない気持ちでいっぱいになって、
ひたすら頭を下げていました。
ふとみると、スタッフがレジ待ちで出来た行列のすぐ脇で
デモンストレーションを始めていました。
それは、レジ待ちの間になにかを売りたいというよりも、
待っているお客さんを退屈させたくない。
そんな気持ちからの工夫だったと思います。
過去経験のないスケール。
過去経験のないスタイル。
現地での採用に苦労して全店から集められたスタッフは、
連日の準備で遅くまで仕事していて疲れていたにも関わらず、
みんな笑顔で元気に店頭に立っていました。
改めてファクトリーギアのスタッフは素晴らしい。
私はこんなスタッフに支えられて仕事が出来ることをとっても誇らしく嬉しく、感謝の気持ちでいっぱいになりました。
ただ、ご来店いただいたお客様には不慣れなオペレーションで本当にご迷惑をおかけしたと思います。申し訳ない気持ちでいっぱいです。
それなのに、
「初日ですから、このくらいのことは仕方ないですよ。それより、みなさん応援しています。体気をつけてください。こんなお店を作ってくれてありがとう」
なんて沢山のお客様に励まして頂きました。
こんな混乱状態で、もし自分だったらこんな優しい言葉を言えるのだろうか?
改めて素晴らしいお客さんと仕事が出来ることを嬉しく思いました。
今回、こんなに大きいお店をつくるきっかけになったのは
コロナの3年間でした。
リモートワークが定着するなか、
ファクトリーギアに来るお客様たちは、メンテナンス、モノつくりに携わる人たちです。
何があっても現場に立ち続け、外に出るのも怖いという時でさえ、
変わることなく現場を守り続けました。
その姿は勇敢で、高尚で、美しい。本当にカッコよかった。
しかし、そんな現場の人たちに光はあまりあたることはありませんでした。
今、リモートワークのない職人といわれる人たちは不人気職種で
深刻な人手不足となっています。
30年後、日本のモノつくり、メンテナンスの現場は守れるのでしょうか?
日本のインフラは日本人によって保つことが出来るのでしょうか?
良い道具で効率を高め生産性を上げて稼げる仕事にする。
働く姿をカッコよく憧れの存在にする。
自分の人生を支えてくれたお客様である職人のみなさんの未来のために
工具屋として出来ることはなんなのか?
そうして生まれてきたのが今回のGIGAファクトリーギアの世界観です。
ジャパンクラフツマンアソシエーションという非営利団体を作り、賛同するみなさんと共に、社会に提言していく。
具体的なアクションとしてGIGAファクトリーギアという新しいスタイルのお店をメディアを通じて発信していくというスタイルです。
私の想いを動画にしていますのでご覧ください。
つまり、売れそうなメーカーを集めて、沢山人を集めて売りましょうというだけの目的ではなく、この世界観を世の中に認知してもらうことに大きな目的があります。
今回のお店に賛同し出店して頂いたパートナー企業のみなさんには
心からほんとーーーーに感謝しています。
売り上げはもちろん、
みなさんの会社のブランディングのお役に立ち、
一緒に素晴らしい日本の未来を創っていければと願っています。
おかげさまで沢山のメディアの取材が入り、
私たちのメッセージは一部のマスコミから注目して頂けました。
オープン初日の3月1日。レジを締めてみると、とんでもない売り上げ
になりました。
その売り上げはオープン初日に全館でトップ。
セレモニーで名前すら紹介されなかった工具ショップが
並みいる有名ショップを抜いてナンバーワンです。
一日の営業が終わる頃、東京からお店のオープンに駆けつけて
たまらずレジのサポートをしていた私の奥さんを見ると、涙ぐんでしました。
愛犬を亡くし落ち込んでいる時、私はオープン準備で神戸に出張中でした。
そうして迎えた初日、沢山のお客さんが来店し、大きな売り上げが
出来ました。私も含めて、スタッフみんな、ちょっとだけホッとしました。
その涙は、多くの会社を巻き込み、沢山の人を動かし、
大きなチャレンジのなかで、どれだけ私が追い込まれていたのかを
知っていたからかもしれません。
家族に限らず、私の知らないところで、私は沢山の皆さんに思いを寄せてもらい、応援されています。
そんなに若くはないけれども、これからも自分の出来ることを最大限に、沢山の人の笑顔のために、そしてなによりも自分の笑顔のために生きていこうと思います。
みなさん、本当にありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。
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