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そんなとき、自分のなかの悪魔に気づく

今から15年も前になるのか?
と、いうお話です。
つい先日、私の親族に深く関わってお仕事をした
という人とビジネスミーティングをしました。

その方たちから聞く私の親族の話。
欠点もあるけど長所もたくさん。

そして、その人の生き様は多くの人に大きな
影響を与えてきたものでした。

日頃、口には出さずとも、彼らの毎日は
私の親族の生き方に、なんらかのインパクトを
受け、そして、その生き方が今の私、これからの私に
なんらかの影響を与えるのかもしれない。

生きていくということは、それだけで、
今、目に見える人達や
自分の毎日だけではなく、とても沢山の人達の
毎日に役に立つことなんだと思います。

だからこそ
毎日を大切に
人との関わりを丁寧に。

いま、15年前の日記を読み返し、
そんなふうに思います。

2009年5月26日
そんなとき、自分のなかの悪魔に気づく

日曜日の朝だった。
目が覚めると外は雨。
ラグビースクール中止かなあ・・・。

メールを確認すると、練習決行の案内。
さあ、行くぞというので準備していたら
練習中止の連絡が入る。
それでも、スタッフミーティングはやるというので
着替えたラグビージャージはそのままに、
出発が遅くなった分、犬の散歩に出かけることにした。

そこにメールが入った。

おじが亡くなった・・・。
母の弟だ。

ご存知、豪傑な僕の母の弟もやっぱり強烈だった。
あったかく、やさしく、愛情タップリだったからこそ、
色々なことが許せず、親族の中に沢山のわだかまりを
自ら作ってしまうことも少なくなかった。

そんな、沢山のわだかまりと軋轢を作り、
最後まで人を許すことができなかったおじは
自らの最後を家族葬にした。

ラグビースクールがなくなった雨の日曜日に
家族3人で出かけた下町にある古い木造の
小さな家に、家族が集まった。
小さな6畳と4畳半のつながった部屋には
納棺されているおじが6畳一間をまるまる
ふさぎ、4畳半には大人がぎっちりと息が
詰まるように体をよせ、続きの板の間では
子供たちが大騒ぎしていた。
疎遠になっているとはいえ、そこにいるのは
みな親族だ。
狭い空間なのに、決して居心地は悪くない。

僕にとっての初めての家族葬は
おじからのメッセージに溢れていた。

その家族葬のなかに身をおく大人たちは
みな同じことを考えていた。
軋轢を作らず、細かなことにこだわらず
相手を許し、いたわり合い、心おおらかに親族は
仲良くしなきゃ。

人は人の欠点が見えるとき、それはほとんどの場合
自分の欠点である。
と、昔教わったことがある。

人は自分の欠点を感じて、それをなんとかしたいと
思うからこそ、同じような人の欠点がみえてしまい
追及してしまう。

例えるなら・・。
あの恩知らず!礼儀知らず!
と、いう人に限って、やはりかなりの恩知らずで礼儀知らずなのだ。

人の欠点が見えたとき、
自分のなかの悪魔に気がつかなくてはいけない。
我を振り返らなくてはいけない。

と、思う。

・・・・・・・でも、結局・・。

人は死ぬ最後の最後まで、自分のなかの悪魔に
気づきながらも自分でなんとかすることができない。

だから死ぬときに
自分の一生のメッセージを残されたものに遺す。

おじの場合は、「許せ」ということんだったんだ。
許して寄り添うことの大切さだったんだ。

そして、あらためて確認したのは、
母が遺したメッセージは「感謝」ということだった。

みな自分ができなかったこと。
でも、最後によ~くわかったこと。

できるなら、死ぬ前に気づき
元気なうちに悪魔を自分の手で追い払いたい。

台湾にくる前日、
それは母と同じ、祖母とも同じ、24日に逝ったおじ。
あと一日遅ければ、そんなことも気づかないまま
おじの死を受け流したかもしれない。

このメッセージを大切に生きていこうと思った。

おじさん、ありがとうね!

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