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#5 なぜ青森でオンラインショップをやりたいか

ぜんぜん関係ないんですが、きのう「自分の嘘くささに、腹が立ってきた」という文章を目にして、非常に痺れた、非常にシビれ切りましたマリエです。東京から青森へ移住した私です。↑の文章をみて、「自分の嘘くささ」を感じたし、どうやったらそれをひっぺがせるのかわからない。
今年は、真っ裸で自分を丸出しで生きたい、そんな令和5年です。できるのかしら。わかりません。

今、十和田でオンラインショップ兼店舗になる物件を探しています。私が事業をやりたい目的はまた別の機会に話すとして、今日は「なぜオンラインショップなのか」をまとめてみたいと思います。

「食べる」ことを人生の中核に据える

私は新卒から直近まで、多くの仕事で「食」に携わっていました。私にとって長い間、「食べること」くらいしか娯楽がなかったというか、中高生時代にダイエットした背景もあって食への執着心が高く、そこから食に翻弄される人生でした。(高校時代のうつ期についてはまた別途)

私が東京から青森へ移住した第一の目的は、「その土地のものを食べる暮らしがしたかった」から。これは、東京にいるときはどうにも実現するのが難しかった。そして、青森にきたらそれはそれはすんなり解決してしまった。(水産・畜産・農産物が豊かな青森すんばらしィ〜〜)

「食べる」という行為は、今の時代いくらでも手を抜くことも、おろそかにすることもできる。ただ、豊かな心身を保ち、持てる能力を発揮し、日常に幸福を感じるためには、この「食べる」という行為が本質的に最も重要な役割であることに、年齢を重ねてやっと気付いた。
「食べること」は非常に官能的であり、生きとし生けるものとして「自然」とのつながりを体感できる、生命に直結するおこないだ。

横断歩道で信号待ちをしながら食べるカロリーメイトも、駅のホームで電車を待ちながら食べるバナナも、タクシーの移動中に食べるファミチキも、みんな同じ食べものだけど、そこには肝心のエネルギーが宿っていない。(エネルギーとは、ここでは"生命力"みたいな意味です)
食物がどのように育ち、どのような形状をして、どのように自分の手元に届くのかをまったく知らず、原型をとどめない食べものを無心に咀嚼する。
そんな暮らしでは、活力もパワーも本質的にはみなぎらないと思った。

一過性の、その場しのぎの食べ物だけで、心身の健康を保つには限界がある。そんな想いから、「食べる」ことに自分の人生の重きを置きたいと思い、産地とつながることが私にとって必須事項になった。

住んで本当にわかった青森の食の魅力

十和田に移住して驚いたのが、私が東京時代から愛好していた食品の多くが青森県産であるという事実!これは偶然だけれども、とってもうれしい誤算でした。

それ以外にも、青森には各地に「産直」や「道の駅」というお買い物スポットがあり、その地場で採れた農産物・水産物・加工品が各エリアごとに売られている。
しかも、どれもこれも今までの東京暮らしでは見たことない食材や加工品・調味料等ばかりで、地域ごとの食の特色が、想像を超えるほどおもしろい!

ただ、多くの食材が「地域に根ざしたもの」であるからこそ、その地域で手軽に買えるものが他の地域では手に入りづらい。その一方で、食のグローバル化が進む現代では、"特色のある食材"がその地域では特別視されず(当たり前すぎて軽視される)、世代を超えて受け継ぐ人が減り、このままでは衰退していく可能性がある、ということも感じた。

魅力ある食材も、それを「価値」と感じる人にどうやったら届けられるのか。とくに、私が住んでいた東京のようなエリアは、買い物の選択肢が多いものの、地域の小さな店でつくる少量生産品を取り扱う店舗は少ない(海外の輸入品とかはめっちゃある)。「地域に根ざした昔からつづく食材」「自分の価値観の合うもの」が欲しくても、溢れる商品数のなかから自分に合うものを見つけるって至難の業だなと思っていた。
この需要と供給の不均衡を解決する手段の一つとしてオンラインショップが浮かんだ。

十和田の、青森の、おいしいアレコレをもっと知りたい

私は、青森のスーパーや道の駅をめぐることが大好きof大好きですが、本当に毎回「なにこれ!みたことない!」みたいな、東京育ちの私には未知なる食材にわんさか出逢う。

ただ、珍しい食材に出会えても「どう食べたらいいか」がわからず…。最初は「ググればわかるでしょ」と思っていたが、哀しいことにローカル食材すぎて?ググっても情報が出てこない
うーん、困った、と思ってInstagramなんかで「この食材はどう食べるのかしら・・」とぼやくと、出るわ出るわ地元のみなさんからの食べ方アドバイス!え、みんなめっちゃ食べてるやんって思うけど、それによって「地域の情報は"人"に蓄積してる」ってことがわかった。

東京で暮らしていたときは「ググって出てこない情報なんてないでしょ」くらいに思っていたが、青森にきたら「ググって情報がでてきたらラッキー!」と思うくらい、オンライン上の情報量の少なさに地域差があることを知った。

私自身、好奇心旺盛なので自分が食べるものについてもっと知りたいし、自分が知ろうとしていることを同じように知りたいと思っている人は少なからずいるのではないか。そして、"地域の食"という資源を活かすことが地域の発展や存続のために重要なのではないか、そう思って、その地域に根ざした食の深堀りと、それを実際に届けられるオンラインショップにしたいと考えるようになりました。

遠方のおばあちゃんのような距離感で人とつながりたい

突然ですが、人との距離感てむずかしいよね。(どうした
近すぎても遠すぎてもアレだし、このオンラインの時代でいつでもどこでも人とつながれる分、人と長く、深くつながるってことがむずかしくなってきたような気がする。

「無縁社会」とは、NHKの番組からできた言葉ですが「家族や共同体から孤立して生きる人が増加している社会を表す言葉」だそうで、家族や地域、社会とのつながりが途絶えた人が増加している今の日本を象徴している。

Wikipedia 無縁社会

私は、食を基点に「モノを届ける」だけでなく、遠方のおばあちゃんのような存在として「つながり」をつくれるようなことがしたい。「つながり」って言葉はなんだかこしょばゆいんだけど、そんなにキチッとしたものではなく「年一で生存報告しとくか。」みたいな距離感の存在。

要件がないと連絡できないとかじゃなく、ただ「生きてるよ〜」「こちらも生きてるよ〜」のやりとりをするイメージ。田舎のおばあちゃんからお正月に送られてくる仕送り箱みたいな。「も〜おせっかいだなぁ、おばあちゃんったら」って感じの、年単位で遠い誰かと繋がるサムシングスペシャルなアレ。(人によってはありがた迷惑だけど

計画してわかった継続のむずかしさ

ただ、そんなふうに頭でイメージしてオンラインショップの事業計画を作りはじめても、あまりのスケールの小ささと薄利でまったく経営が成り立たないということがわかった。いざやったとて、自分ちの家賃も払えない収益…え、どうするよ…

オンラインショップだけでは到底食っていけん。私はひとり親家庭の大黒柱でもあるので「趣味程度にやる〜」とかできませぬ。なんとか子どもを食べさせなあかん。そこでどうにか作戦を考えねばとなり、店舗機能を併せ持つ「場所」にしようと思いました。

朝に過ごせる場所が皆無な十和田

7年前くらい?の十和田一人旅や、移住先や家探しのために3回ほど訪れた十和田ですが、街中がとても閑散としている。商店街はあるけど、ほとんどシャッターが閉まって人通りが少ない。
東京にいれば、朝からやっているカフェやパン屋さんがどこかしらにあったけど、十和田では「朝から活動をしたいな〜」と思っても行く場所がない。Oh no.

「十和田市現代美術館」というすばらしい施設があるにもかかわらず、観光に訪れた人などが美術館開館の前に立ち寄れる場所が、ない。最近、街中にマクドナルドができてよかったなぁと思う。唯一の朝の居場所になる。

そこで、オンラインショップの事務所を物販のお店として観光にきた人や地域の人に解放してみてはどうか?十和田に限らず、青森の魅力的な食材を知れる気軽な場所として。そして私が朝型人間なので、朝の営業メインで。

物件探しの壁

といいながら、物件探しをしているものの、いかんせん建物の老朽化が深刻で、安い賃料の店舗はあっても改修費がけっこうなレベルでかかってきそう。さぁ、果たしてどうなる!引き続き物件探しをつづけて参ります。

もし何かよい情報お持ちの方がいらっしゃいましたら、絶賛ご連絡お待ちしております。。ぐは、今回も長く書いてしまった…それではまた、ごきげんよう〜〜




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