見出し画像

#1 新しい始まりとこれから、青森から

こんにちワンタン麺。マリエです。
私は去年(2022年)、東京から青森に移住しました。今、青森の十和田市で小さく事業をはじめる準備をしています。

やりたいこと、チャレンジしたいことが溢れる脳みそを持ち合わせておりますので、私の青森における紆余曲折を記録したいなぁと思ってnoteを開設しました。もしご興味のある方がいらっしゃいましたら、どうぞ宜しくお願いします〜

今回は、「簡単な自己紹介」「何をやろうとしているか」を書く予定です。脱線したらごめんなさい!これから月2回くらいのペースで、進捗報告などnoteを更新していけたらいいな、と思います。よろしく哀愁です。

眠らない街東京で、文字どおり眠らない生活をしてた

私は、生まれも育ちも東京。両親は大阪出身(離婚して片親)なので、東北にはまったく接点のない暮らしをしていました。東京はとても刺激が多く、仕事も娯楽もたくさんあり、多様な人と出逢える魅力的な都市です。

そんな東京という街で、一般就職した私はとにかく仕事に精を出し、常にやりがいをもって働いていました。(私のキャリア詳細については長くなるのでまたいずれ。)

ただ、29歳のときに仕事も恋人もなくなるタイミングがあって、その機会に改めて自分の人生と向き合ったところ、自分が今まで生きてきた生活は「本当に自分が望んでるものなのか?」と疑問を持ちはじめ…。今まで自分が選んできた仕事、恋愛、生き方、そのどれもが、もしかしたら「自分」ではなく「他人」の視点を軸に選んできたのではないか?そんな疑念が突き刺さり、当時なんだか爽快な、スカッとしたショックを受けました。

そこで三十路を手前にして心機一転!「本当に自分が望む生き方をしよう」と思い、そこから雇われではなくフリーランスとして体一つ(?)でお金を稼ぐようになり、試行錯誤でなんとか生き延びて参りました(ギリギリの稼ぎで、預金残額6,000円になってヒェ〜ってなったことある)。あいかわらず仕事が楽しめるタイプなので、当時はお仕事に夢中で寝る間も惜しんで2ヶ月休みなしの1日ほぼ20時間労働みたいなことをしていました。(今ではもはや意味不明。。人間のアドレナリンモードってすごいね)

東京って本当に早朝から深夜まで交通機関はあるし、朝も夜も飲食店やスーパーがやっていて、街が眠らないから人も眠らない。どんなにハードに働いても仕事終わりに飲みにいってそのまま深夜タクシーで帰宅、家で仮眠をとってシャワーを浴びて始発で通勤、そんな感じで過ごしていました。

そんな中、諸々あって子どもを授かり、働く母として周りの環境に支えられながら仕事をしていたものの、かねてより関心のあった「移住」という選択肢を改めて考えることがあり、いいタイミングで『お試しとわだ暮らし』という企画に参加をさせていただいた流れであれよあれよと気づけば青森に移住しておりました。(って、現実はそんなにスムーズじゃないけど、一旦端折りますん)

お試しとわだ暮らしについては、ご興味ある方はこちらをどうぞ。

まずは、小さな店舗とオンラインショップをやること

これから、私が青森で何を目指しているかというと、まずはオンラインショップ兼小さな店舗を十和田につくりたいと思っています。絶賛物件探し中でございます。

青森の創業支援員さんに相談をさせていただきながら事業構想をつくり、どうにか実現可能なラインを考えて実行していきたいと鼻息荒く生きております。ただ、「まずは」と書いている通り、さらなる野望がまだまだたくさんあります。生きているうちに叶えられるのかは定かではありませんが、やりたいことがあるって幸せだ〜と日々噛み締めながら、自分のなかでやりたい思いが鎮火するまでは走り続けてみたいと思います。やりたいことがあるって、決して当たり前なことではないから。

で、事業を立ち上げるうえでの目標に「就労の難易度が高い人が少しでも働ける場所をつくる」というものがあります。これは本当に叶えたい、否、ぜったいに叶える(!?)目標です、、(まだ自分が食っていくことすら厳しいのに、、)

「就労の難易度が高い人」とは、ひとり親や介護をしている人、発達特性がありスキルや働く環境が限られている人、その他どのような事情でも「働く」ということが難しいと感じている全般を指します。

以下、とても面白い取り組みだな、と思うページをシェアします。

すべては自分のため

私は好奇心が強く、あれもこれも自分で学び実践するのが大好き。多様な人が働ける仕事をつくりたいのも、事業を興すのも、誰かのためではなく自分があってほしい社会を「なければつくっちゃえ」という気持ちでただ自分のためにやりたいという利己的な考えです。

リチャード・ドーキンス氏の『利己的な遺伝子』という本があります。人間は、遺伝子が生き残るための「乗り物にすぎない」という考えで、利己的な動きをする遺伝子は、生態系のバランスによって生かされも殺されもするというとてもおもしろい内容。(私には難解すぎて解釈が間違っていたらごめんなさい。)

作家・日本の政治運動家の小田実氏は、本の中で以下のようなことを書いていて↓↓
戦後の食糧難で飢えに苦しむ親子を例に、腹を空かせた2人の人間が一片のイモを目の前にしたらどうするのか。取り合いになるのか、どちらかが奪うのか、分けて食べるのか。もし1人だけで生き延びても、どちらかが生き延びることができなかったら、イモを探す人手が1人になる。2人で半分の命を生き延びて二手で探せば、また食糧にありつける可能性は高まる。

極限状態のなかでこそ、「人間は1人では生きていけない」ことを自覚し、自分の生命を維持するためには他者の存在が不可欠であると認識する。
ずっと前に読んだ本だから解釈が違う部分があったら申し訳ないのですが、私の中で小田実氏の文章で印象に残っている内容です。

参考文献:「何を私たちは始めているのか / 小田実」三一書房

↑とっても素晴らしい本だけど廃盤になっちゃって手に入りづらいのよ・・

本来、人間は利己的な生き物で、利己的な生き方をしようとすればするほど、結果として他者の役に立ち、世界はバランスを保てるのかもかもしれない。(なんと美しき世界、、)
私にとって「利己的」とは、わがままや自分勝手などのネガティブな印象ではなく、本来の姿をどう社会と共存させるか考える原動力たるものだと思っています。

そんなこんなで、自分のために・利己的に!そして、それがめぐりめぐって社会のお役に立てますように。と、自然に生かされるまま、やれるだけのことをやって参る所存です。また少しずつ、近況をUPしますん〜


サポートいただきましたら、私も誰かをサポートしエンドレスサポートトゥゲザーします。