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自分の居場所がないと感じる原因
「自分の居場所がない気がする」
そう感じるようになったのは、結婚、出産を経て数年後くらい。
毎日が家事と育児でいっぱいいっぱいだった。
家族がいて、子供がいて、普通に生活できてるのに、
どうして「居場所がない」だの「ほしい」だのと思ってしまうんだろうか。
それが何故なのか、わからなかった。家族の仲が悪いわけではない。夫との会話もあるし一緒にいる時間もある。それなのに
「居場所がないようにかんじる…」ふと思ってしまう。
なに贅沢なこと言ってるんだ。そう自分に叱ったこともあった。
この満たされない感覚は、一体なんだろう。
このモヤモヤが何か知りたくて、ヒントになるものはないかと、本屋に何度も行った。心理学やカウンセラーが書いた本などを沢山読んだ。
そこに
感情が安定しないのは、ほんとうにやりたいことをやっていないから。魂が喜ぶことをしていないから、居場所がないように感じるのです。
というなことが書かれていた。(だいぶザックリだが)
ほんとうにやりたいこと?
母だから、主婦だから、結婚してるからとか、いま私にくっついてるものは置いといて、「一人の人間として」だ。
これはかなり考えた。考えまくってわかったことは「頭で考えて、わかるわけがない」だ。
やりたいことは気持ちや感じるものだから頭で考えてもわからないのだ。
悩んでてわかるわけがない。
でも好きだったことは思い出せる。
小さいころ絵を書いたり、塗り絵をしていた。紙の着せ替えも好きだった。文房具も大好きだった。新しい筆箱を買ってもらったときは、宝物のように大切にしていた。
好きだったことを思い出している時間は幸せだ。
そうだ、私は紙とか文房具とか大好きだったよね。紙の感触、鉛筆のかすれ。絵の具の混ざり方を眺めるのも好きだった。
好きなことをただ楽しんでいた。誰かに褒めてほしくてやってたわけじゃない。絵を書いてる時も、ただ好きで、楽しくてやっていた。
それが、大きくなって、家族ができて、生活が変わったら
絵なんて書いてるんじゃねえよ。そんな時間あるなら部屋の掃除でもしろ。片付けもちゃんとしろ。少しでもお金になることした方がいいんじゃないの?書いたからって、なんだっていうの?家族のために、何か他のことした方がいいんじゃないの?
もう一人の自分がずっとささやいていた。
やりたいことがあるのにブレーキをかけ、否定していたのだ。すごく苦しかった。勝手に苦しんでいた。
ある日、引き出しの片付けをしようと、使用頻度の少ない引き出しを開けた。そこには使われてもいない、絵の具たちが沢山あった。新品の鉛筆や消しゴム。私のすきな種類の紙。誰にも触られないように大切にしまってあった。
それをじーっと見てたら涙が出てきた。捨てれずに大切にとっておいている。
もう、これが答えなのではないか?
居場所がないように感じてた原因は
「ほんとうにやりたいことを、自分で認めていなかったから」ではないかと気づいた。
こんなことをしたい、という気持ちにOKを出せていなかったのではないか。誰も止めはしていないのに、自分が自分の邪魔をしていたのだ。
そう気づけたのは子供のおかげでもある。
子供は時間なんて気にしてない。明日のことなんて考えてない。
目の前のことに夢中になり、ただ楽しんでいる。お腹がすこうが関係ない。
とても健康な人間に見えた。先生のようにかんじた。
そうだ、私もこうだったはず。子供を見習おうと思った。
子供が書く絵はとってもかわいかった。すんごい顔が長かったり、とんでもない髪型をしていたり、角度が変だったり、それがとても良くて面白かった。書けて満足している。
こんな物が欲しい!と思ったら家中の道具を集め、すぐに作っていた。
「このお人形のおうち作ってるの」
「ここにベットがあったらいいと思うの」
「ここで、この子は料理するの」
見てて面白かった。これは邪魔してはいけない。この子の浮かんだイメージの物を作らせてあげたい。
試行錯誤しながら作っていた。うまく形に出来なくてイライラもしていた。でも諦めない。手が小さくて力も弱い。厚紙を切るのに一苦労していた。手伝ったりもしたが、「自分でやりたい!」と言われることもあった。とてもエネルギッシュに見えた。
そんな子供の姿から、忘れてしまった大切な感覚を思い出した。
私も書きたいんだ。表現したいんだ。自分の中にあるものを。
そう自分で本当に受け入れ、認めれたとき、すーっと楽になった。
『やっていいんだよ。書いていいんだよ。それを子供にも見せるんだよ。
喜んでくれるでしょ?
あなたのやりたいことは身近な人を喜ばせているんだから、いいんだよ。
喜ばれなかったとしてもいいんじゃない?だって、やりたいことをやっている「姿勢」に周りは何か感じるものだから。
自分のやりたいことを認めて、楽しむんだよ。
やりたいことをやっているときは輝けるんだよ。それは家族にもイイことなんだよ。
お母さんが楽しそうな姿、子供は嬉しいはずだよ。
あなたもそうでしょ?お母さんが笑ってる、楽しそうな姿、嬉しいでしょ。安心するでしょう。
夫にとっても、妻が笑顔なのは何よりではないの?』
周りからの助言もあり、そう自分に少しずつ少しずつ言えるようになった。
すごい長い時間がかかって、家族に迷惑をかけてしまったこともあったけど。
自分の居場所。
それは自分の中にあるし、自分を受け入れ、認めれたときにできるのではないかと思ったのです。
認める、受け入れるということは、否定しないということではないだろうか。
自分に素直に、正直でいたい。
そして子供がすきなもの、大切にしてるものも、「そうなんだね」ってただ受けとめたい。そう思います。
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