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感情と論理の話

 感情と論理はどちらが大事か?性格診断などで時々見かける質問だと思います。Twitterの質問箱なんかにもありますね(おそらくbotの質問だと思いますが)。そういうところで様々な人の意見を見かけるわけですが、大抵の人は論理が大事だと答えているように思います。「感情よりも論理で語ろう」なんて言葉を聞いたことはありませんか?確かに客観的なデータを根拠に議論を進めることは大切だと思います。しかし私は「感情より論理」という考え方に長らく疑問を持っていました。

 そんな私ですが、この春社会人になり、とある人と出会ったことで私の中での答えといいますか、目指すべき目標が見つかったように思います。そこで今回は感情と論理というテーマで私のこれまでの考えとこれから目指したい姿について書いていきますね。


感情よりも論理が大事?

 先ほど述べたように、私は感情よりも論理が大事という考えに疑問を持つ立場でした。その理由は正論を武器に相手の感情を蔑ろにしている人が多すぎるのではないか、と感じるからです。

 コロナ禍でTwitterを始めてから3年が経ち、今まで様々なバズツイートやリプ合戦を目撃してきたわけですが、その中には「自分の考えが論理的に正しければどんな言い方をしてもいい」ひいては「論理の力で相手をねじ伏せるのがかっこいい」と考えているのではないかと思われる発言が多々ありました。

 でも私たちは人間なので、筋の通っていない発言をしてしまったり、そのような行動をとってしまうことってあると思うんです。もちろん客観的なデータや論理をベースに議論を進めなければならない場はありますが、そこで非論理的な考えが出てきてしまった場合、その人を正論で殴りつけるのではなく、その人の感情を慮った上で論理的な意見を提示することが大事なんじゃないかなと私は考えます。

 ここまで読めばお分かりかと思いますが、私は「感情より論理」という考え方を100%否定したいわけではありません。むしろ論理的な思考はとても大切だと思います。しかし「感情より論理」という言葉が独り歩きした結果、その意味を履き違えて正論を振りかざす人たちが大勢いることに違和感を覚えます。相手を論破して自分が気持ちよくなるのはむしろ感情的とも言えますよね。こう考えると自分でもよく分からなくなってしまいますが、結論「議論の場において確かに論理は大事だが、相手の感情を尊重することが最も大切だ」と私は考えます(個人の考えなので異論はあるかと存じますが、それこそお手柔らかにお願いしたい)。

論理は本当に正しいか?

 ベネッセが発表した小学生の流行語ランキングの1位に「それってあなたの感想ですよね?」という言葉が入ったという記事を昨年見かけました。もし私の解釈が間違っていたら申し訳ないのですが、この言葉からは「客観的な論理こそが正しく、主観的な感想は蔑ろにしても良い」という考えが感じられます。この言葉を最初に言ったひろゆきさんの意図は異なるのかもしれませんが、そのような意味合いで多くの人に使われ広まった言葉だと思うんですね。しかし、本当に論理は感情よりも「正しい」のでしょうか?

 高校時代の同級生に、会社を立ち上げている子がいます。詳細は伏せますが、その子の話の中に「売り上げを伸ばすには絶対にこうした方が正しい。でも私はそのことにモヤモヤするし、自分の美学の方を大切にしたい」というものがありました。

 このように、論理だけでは割り切れないこと、各々が自分の感情で大事にしたいことってあると思うんです。会社の例で話を続けると、会社は人間が立ち上げたものであり、人間のためにサービスをするわけですから、当然その経営には人間としての感情や美学が大事になってくるわけです。そこを無視して客観的なデータや論理だけを基に経営を続ければ、少しずつ積もっていった違和感や不満が歪みを起こすのではないでしょうか。「論理的ではないかもしれないけれどなんかモヤモヤする……」という感覚も私は結構大事だと思っています。

 また、私はここまで「主観的」「客観的」という言葉を用いて話を進めてきましたが、論理が本当に客観的なものなのかという点にも疑問があります。例えば会社の経営で考えた場合、社長の論理と従業員の論理、顧客の論理がそれぞれ異なる可能性はないでしょうか。実際に私の職場でも、詳細は言えませんがそれぞれの考える「論理」がすれ違っているなと感じたことがあります。

 論理は客観的で絶対的に正しいものであると錯覚してしまいがちですが、結局のところ論理もそれぞれの立場から見た主観的な要素や感情から完全に逃れることはできないと思うんですね。もちろん主観的な感情に偏りすぎないよう客観的なデータを用いて議論を進めることは大事だと思うのですが、最終的にはそれぞれが納得感を得ることが議論のゴールかなと個人的には考えています。それこそ「それってあなたの感想ですよね?」と言われそうな意見ですが、感想だから何だ!と言いたい。

本当の意味での「感情より論理」

 このように「感情より論理」という考え方には長らく疑問を持っていた私ですが、この春から働き始めた職場で1人の先輩と出会ったことで本当の意味での「感情より論理」を理解したように思います。

 私は社会人1年目なのですが、今の職場は新人1人に先輩1人がつき完全マンツーマンでしっかり指導をしてくれる体制です。基本的には狭い部屋の中、ずっと2人だけで仕事をしています。そのような状況で数ヶ月も仕事をしていれば、当然新人の私がやらかしてしまう場面は何度もあるわけです。

 そのようなとき、先輩が感情的に怒ることは絶対にありません。いい加減うんざりしていることもあると思いますが、そのような素振りを見せたことは一度もなく、なぜそれが駄目なのか、どうすればよかったのか、これからどうしていけばいいかということをいつも論理的に丁寧に説明してくれます。そして先輩が私を注意するとき、いつも根底に「あなたを傷つけたいわけではないよ」という思いやりがあるのを感じます。だから私は必要以上に落ち込むことなくすんなりと先輩の言葉を受け入れることができるのです。いや、むしろ私のこと思ってくれてるんだなってちょびっと嬉しくなっちゃうくらい。※ちゃんと反省はしています。

 今まで私は一度注意されると自分が全面的に悪いと感じ、最低でも1週間、酷いと何年も落ち込んでしまっていました。しかし、今まで私が見てきた叱り方と先輩の叱り方を比べると、前者は「自分の立場を利用して下の人に言いたいことを言うことで快感を得たい」という感情を発散した叱り方だったと感じます。「こんなこと言いたくありませんが」とか、いや言いたくて言ってるだろって感じ。

 それでも叱られた案件については基本的に自分が一番悪かったと思いますし、反省すべきところはすべきだと思います。でもそのような相手の醜い感情を直撃で食らって必要以上に傷つく必要はなかったんだと今になって気づきました。

 さて、話は戻りますが、私は先輩の姿を見て本当の意味での「感情より論理」とは、自分の感情を相手にぶつけることなく、相手を慮りながら説明すべきことを論理的にきちんと話すことだという結論に辿り着きました。当たり前のことに見えるかもしれませんが、これができる人は私が今までの人生出会った人の中で先輩ただ1人だけです。

 私たちの職業は専門職でもなく特別な能力を必要とするわけではありません。そのため先輩は一見すると凡庸な人間に見えるかもしれませんが、この能力においては今のところ世界で一番尊敬できる人です。もちろん数ヶ月もずっと一緒にいれば先輩にも苦手なことがあると分かりますし、先輩が完璧な人間というわけではないと思います。まだ知識が少ない私には、先輩がこの職業に向いている人材なのかも正直よく分かりません。でもこれだけははっきり言える。先輩ほど教育係に向いている人はいない。

 (蛇足かもしれないけど先輩のこの能力は子育てにも向いていると思う。先輩の話を聞いていると、いつも育児を頑張っていてすごいな、先輩に育てられる子どもは絶対幸せだろうなって思う。もちろん職場で私に実践できていることを家庭で子どもや奥さんにも実践できるかは別問題だけどね)

 私はこんな素晴らしい先輩のもとで大事な社会人一年目のスタートを切ることができて心から幸せだと思います。私にとって目指すべきロールモデルが1つ増えました。先輩との出会いは23年間の人生の中で重要な出会いベスト5には入りそう。残念ながら先輩と一緒に働けるのは最初の1年間、長くても2年間だけです。そこからは独り立ちをしていかなければなりません。だからそれまで目一杯、先輩から吸収できることを吸収して笑顔で飛び立ちたいと思います。

 何だか話がずれてしまったようにも思いますが、社会人になり先輩と出会ったことで改めて「感情と論理」について考えてみた話でした。長い文章をここまで読んでくださりありがとうございます。

おわりに

 さて、ここまで約3700字も駄文を連ねてしまったわけですが、私の言いたいことを一言にまとめた言葉がこの世に存在するので最後に紹介しようと思います。

正論は正しい、だが正論を武器にする奴は正しくない。

有川浩『図書館戦争 図書館戦争シリーズ①』p.126

 超有名シリーズ『図書館戦争』の中でも有名な一節です。むしろ私はこの一節をきっかけに作品を手に取りました。まだシリーズの最初の1巻しか読んでおらず、この先も追いかけるかは分からないのですが。何にせよ言いたいことを端的に分かりやすくまとめられる作家の力ってすごいねって話です。

 それではごきげんよう。

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