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若年性アルツハイマーの父に久しぶりに会った

「若年性アルツハイマーの末期です」

「重度の認知症」

入院中の父の担当医から何度も聞いた言葉

どのように父が亡くなる可能性が高いのか、説明も受けた。

「認知症で食べる行為自体を忘れて、栄養失調で亡くなる可能性」

「栄養状態が良くないことから感染症にかかる可能性」

医師から説明を受けた時、

「ああ、父はもう長くないのか」と思った。

若年性アルツハイマーになって7年、本当に色々なことがあった。

笑ったり、泣いたり、怒ったり。

思えば笑い合えた時間の方が少ないのかもしれない。

父の病気に関しては、たくさん涙を流した。

どんどん認知症が進行する父に、病気だとわかっているのに

「さっき言ったでしょ」と怒ってしまったこともたくさんある。

父が入院する前も、父が母に靴を投げつけて

「お母さんを悲しませないでよ」と怒鳴ってしまった。

それから数ヶ月間、父は入院することになったにだが、入院中はコロナの影響で面会することが全く出来なかった。

父が入院する前の会話が頭から離れず、

「お父さんにひどいことを言ったまま、あれが最期になってしまったらどうしよう」と考えていた。

そんな中、父が転院することになり、数ヶ月ぶりに父に会えることになった。



父に久しぶりに会った時のこと


転院するための荷物をまとめて、父がエレベーターから降りてくるのを、母と一緒に心待ちにしていた。

「お父さん、お母さんのこと忘れちゃってるかな」と心配する母。

「どうだろうね、しばらく会ってなかったからね」などと会話をしていると

エレベーターのドアが開き、父が現れた。

久しぶりに会った父は、車椅子に乗っていて、足が細くなってしまっていた。

だけど、上半身はしっかりしていて、入院する前の父そのもので少し安心した。

母と私が「お父さん」と声をかけたけど、全くこちらを見ない。

「ああ、やっぱりお父さんは分からなくなってしまったんだ。」

ちょっとだけ悲しかったけど、何となく想定していたので受け入れることができた。

「私達を忘れてしまったけど、思ったより元気そうで良かった。」

介護タクシーに父と母と私で乗り込み、運転手さんに挨拶していると突然

「久しぶりだね」と父が母を見ながら言った。

「お父さん、私が分かるの?」

「分かるよ」

両親の会話を聞いていた私は、

「良かったね、お母さん、良かったね」と涙を流した。

「うん、うん、良かった。お父さん私を覚えていてくれた」と母も涙を流した。

事あるごとに母は、「お父さん、もう私が分からなくなってるかも」と心配していたので、良かった、本当に良かったという想いが溢れて、母と二人で号泣した。

父が若年性アルツハイマーになって7年。

出来事や感情を分類するとしたら、9割は辛い、悲しい出来事だった。

この病気に父はもちろん家族みんなが苦しんで涙を流してきた。

時に笑い合えることもあったけど、悲しいことの方が多かった。

だけど、この日初めて、

「お父さんからお母さんを奪わないでくれてありがとう」という気持ちになった。

この病気が憎いし、大嫌いだ。

だけど、ほんの少し、あの時だけかもしれないけど、家族に優しい時間をくれてありがとうと言いたい。

病院内が寒かったため、母はずっと父の手をさすっていた。

「お父さん寒くない?大丈夫?」

と5分に一回は父に聞いていた。

お母さんはお父さんが本当に大好きなんだな。

そして、その二人を見て涙が止まらない私もまたお父さんが大好きなんだなと思った。

お父さんが大切な家族で、病気になってもみんなお父さんが大好きだと再認識できた。


そんな時間をもらえて良かった。ありがとう。

家族で過ごす時間を貰えた。ありがとう。

お父さんからお母さんを奪わないでくれてありがとう。


病気に対して感謝しているのか、誰に感謝しているのか、分からないけれど、父と優しい時間を過ごせたことは私にとっても母にとっても、家族にとっても宝物になった。

このような時間を過ごせて、本当に良かった。

病院の先生方や、ケアマネさん、介護施設の方々に沢山お世話になって、優しい方にたくさん出会うことができて、

父と過ごした時間が辛いこと多かったけど、辛いことばかりではなく時に笑い合えることができたのは、こういった方々に出会えたからだと思う。

あと何回父に会えるか分からない。

もしかしたら次に会う時は、母を忘れてしまっているかもしれない。

だけど、この日の出来事は、私と母、家族みんなの支えとなってくれるのだと思う。

このような日を過ごせて良かった。

ありがとう。

ありがとうございます😊頑張ります٩( 'ω' )و