任天堂-岩田聡さん 横がおもしろい
「岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。」
2019年7月11日 初版イトイ重里 監修、ほぼ日刊イトイ新聞・編 発行者 ほぼ日の書籍です。今は亡き任天堂の岩田社長(2015年7月11日逝去)の当時の活動と岩田さんを取り囲む関係者や糸井重里氏との関わりなども編集された本になっています。
任天堂:このロゴは従来のトランプ、花札のメーカーとして確立されていた京都の任天堂から世界の任天堂に育て上げられた任天堂の社長が山内さんから岩田さんの時代で、経営者であり、ゲーム開発者であります。当時の地元京都出身の私としては、トランプ花札でお世話になっていたメーカーが突如、でもないのですがゲーム機の黎明期の時代から現代にいたる世界の任天堂になるまでの背景がこの書籍を見るとその事情を垣間見ることができました。
実は創立者の任天堂の社長(故 山内 傅)さんのご子息が、当時私が通う高校に同級生として入学され(クラスは異なりましたが)、同じ日を過ごした時代にいた者です。クラスは違えど通常の高校生としてイベントなどでご子息さんと交流したものです。今なら、超有名人のご子息ということで時の人になっておられたと思います。その時はまだ、当時の規模の任天堂さんはトランプ、花札、百人一首の有名メーカーではありましたが、中小企業さんでありました。
このゲーム市場が生まれるまたは生まれた直後の黎明期の任天堂を、今改めて時代をさかのぼってこの本を読むと、その躍進が岩田さんやゲーム開発者の右腕宮本さんによって(一人ではありませんが)リードされ、築かれた結果であることが非常にわかります。また岩田さんと糸井さんの関係も絶妙な関係で岩田さんが糸井さんとの交流に非常に楽しみと同時にいろいろとヒントを与えてくれる存在であったことが読み取れます。またHALと任天堂(当時の社長の山内傅さん)との交流や岩田さんと糸井重里さんの関係なども親密なビジネス交流を重ねておられたのだなと理解できました。
本の構成は「はじめに」から始まり「第1章 岩田さんが社長になるまで」〜「第7章 岩田さんという人。」までと「岩田さんの言葉のかけら」という言葉が、6個残されており各章に黄金の言葉としてちりばめられています。
私はこの本で任天堂の躍進の原動力が何だったのかを少しでも理解することができたということもよかったですし、岩田社長が就職先がコンピュータの販売店員だったバイトの方がHAL研究所をつくり、そこに就職するということからスタートされて、HALの倒産も経験されて人生を歩んでこられたことがわかり、本当に山あり谷ありの人生であったのだなと感心しています。また当時の任天堂山内社長と岩田さんとの関係や話し合い、将来任天堂を大きくしていこうというような話もされて頑張っておられたんだなとわかりました。こういったことを聞いたり見たり読んだりして情報を得ますと人間関係が面白いとおもいます。それも縦割りの関係ではなくて横につながる関係が面白いです。縦じゃなくて。横の関係です。全然普通合わない人が、あって意気投合して、そこから思いがけない発展に展開したりします。
当時の私の勤務先が大阪駅の一つ向こうの塚本駅ということでHAL専門学校の前を何げなく通過していましたが中ではいろいろなことが動いてたんだなと思いました。任天堂と岩田さんの縁も少し見えたりして興味深いと思いました。任天堂さんにはいろいろなゲームで子供がお世話になりました。自分も花札、トランプ、後ボードゲームもあったような記憶がありお世話になりました。任天堂さんは自分に取り身近な存在でした。今やグローバル企業となり、これも過去からいうと山内社長、任天堂のゲーム開発者、岩田さんの築き上げてこられた結果であります。そして岩田さんの横に糸井さんがいたという事実も。