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『愛を知った日』【短編・実話】

過去の自分


私はずっと
「自分なんか誰からも愛されてない。」
と思って生きてきた。

理由はたくさんある。

幼少期の頃、実の祖母から毎日のように
言葉の暴力を浴びせられながら育ったこと。
高校生の頃、自分がバイトで稼いだ学費代を
親からパチンコに使われていたこと。

「なんで生きてるんだろう。」

そして私は高校生で不登校になり、
20歳の時には対人恐怖症になった。

私は22歳の時に故郷を飛び出し、
全てを捨てて新しい自分になろうと思った。

「住所を持たない放浪人」になろう。

とにかく親から離れて遠くへ逃げたかった。
自分の生きたいように生きたかった。

そして海外に住んだりもしながら
たどり着いたのは北海道

そこで私は「人生の師匠」に出会った。

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転機


北海道のリゾートホテルで
アルバイトでハウスキーパーとして働くことになった。

師匠は40代の男性。
東京からコンサルタントとして
毎年一番忙しい冬だけ応援に来る人だった。

見た目はチャラいが、仕事をバリバリこなして
業務も優しく教えてくれる上司だった。

私は毎日激務をこなし頑張っていたが
ある時、腰を悪くしヘルニアになってしまった。

すると師匠に
「清掃した後の部屋をチェックする
リーダー役をやれよ」
と言われた。

私なんかリーダーできるワケない…

そう思ったが、一人暮らしを始めていた私は
仕事をくれるだけありがたいと考えを改め

「はい、やらせてください!」
と答えた。

もう食っていくためにやるしかなかった。

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落とし穴


私はリーダーという責任を重く感じながら
がむしゃらに毎日指示を出して働いた。

自分の祖母に歳が近いほどのスタッフ達は
それはワガママで自由な人ばかりだった。

スタッフからすれば今までは
孫くらいに思っていた私が、
急に指示を出すようになったので
いい気分ではなかっただろう。

覚えないスタッフたちに口調が荒くなる私は、
当然のようにみんなから嫌われていった。
「何回教えてもみんな覚えない」と私が愚痴を言うと

スタッフは宝なんだ。
分かるように教えてあげないお前ぇが悪い。

と師匠はキレて私は毎日こてんぱんに怒られた。
「なんでわたしばっかり!!」
と私は師匠ともケンカになりどんどん孤立していった。

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救世主


悪態をつきまくっていた私は
何をやっても師匠から怒られるようになっていた。

「もうこんなところ辞めてやろうか」

そんなふうに思っていた時、
数か月前に退職してしまった仲の良かった
元マネージャーとランチに行くことになった。

私は彼女に思う存分、愚痴を吐きまくった。

彼女は深く頷いて話を聞いてくれた。
そしてこう言った。

「なんで私ばっかりって気持ち、すごく分かるよ。
私もお前の教え方が悪いって
師匠からたくさん怒られた!
でも今ならその意味が分かる。

この感覚、きっと分かってくれるって
師匠があなたを信じてくれてるから
そんなに怒ってくるんだろうね。」

私はずっと一人で頑張っていると思っていたので、久しぶりに共感してもらえたことで
嬉しくて泣いてしまった。

「私を信じてくれてるからなんだ。」

私は最高のアドバイスをくれた彼女に
「明日から師匠が言うこと全部イエスと言って
もう一度頑張ってみます!」

と約束して別れた。

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人が変わる瞬間

私は次の日から人が変わったように
師匠の言うことを全て受け入れた。

どんなに師匠に怒られても
「本当ですね!私が悪い!」
と言い、スタッフがミスしたら
「ごめんなさい!
私の教え方が悪かったですね!」
と心から謝った。

「スタッフは宝だ。
スタッフのミスすら愛おしい。」

いつも師匠が言っているこの言葉を
自分も真似をし、行動で表すようにした。

すると、今まで怖いと避けられていたのに
おばちゃん達がプライベートの
なんでもない話を私にしてくれるようになった。

それがたまらなく嬉しかった。

しばらくするとまた、
私を嫌っていたはずのおばちゃん達が
「あなた今日も休憩できなかったの?
これ食べなさい。」


とおにぎりをそっと渡してくれたり、
わざわざ事務所にある私のデスクのところに、
赤飯やおかずを包んで持ってきてくれたりした。

そしてたくさん差し入れをもらう
そんな私の姿を、師匠は嬉しそうに
遠くから黙って見ていてくれた。

「私はあんなにひどい言い方をしていたのに、
師匠もスタッフもみんな”愛”で返してくれた。」

私は家に帰り、その愛でいっぱいのご飯を
泣きながら噛みしめて食べた。

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突然の別れ

この出来事から2年後、師匠は急死した。


私はあの経験をしたあとホテルを辞め、
やりたい事を探すため東京に移っていた。

そして私と師匠がお互い東京にいる時に
師匠が時間を作ってくれて
1度だけご飯に行ったことがあった。

その時も「元気そうで良かった。またな。」
と笑顔で言ってくれた。

これが師匠の亡くなる4か月前で、
このご飯から二度と会えなくなるとは
微塵も思っていなかった。

亡くなったと知ったのは
元マネージャーから突然、
早朝に連絡が来たからだった。
師匠はその年も北海道へ出張に行っていて仲間と会っている時に突然倒れたということだった。

師匠の通夜は東京で行われた。
私は師匠の顔を見て「本当に亡くなったんだ」と
悟ったが、その日どうやって家に帰ったのか記憶はない。

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私の生きる意味


私は師匠にとてつもなく大きいものを教えてもらった。

「愛は人を救い、愛は人を変える」と。
こんな経験はそう多くの人が出来ることではない。

私は「誰からも愛されてない」と思って生きてきた。
でも愛を知ったことで、それは間違っていたと気付いた。

父や母はお金に関してかなりルーズだったが
貧乏なりに愛はたくさんくれていた。

私が食べたいと言った晩ご飯を作ってくれたり、
私が欲しいと言ったかどうか覚えてないようなものを
誕生日に買ってきてくれたりしていた。

「なーんだ、
自分はこんなに愛されてたじゃないか。」


それはあの時、師匠に弟子として
愛をもらっていなければ
未だに私は長いトンネルの中を
一人さまよい、親を怨むばかりの
人生を送っていたかもしれない。

でもこの感謝を師匠に伝えようとしても
もう二度と会うことはできない。




であれば、私が誰かに与える人間になろう。

私が知った愛の力を、誰かにも伝えていこう。
自分が本当はどれだけ愛をもらって育ったか、
こんな大切なことを忘れてしまいそうな
現代の人達に私がこれから伝えていこう。

「愛は人を救い、愛は人を変える」

「そんな考えは甘い」だの、
「威厳のない奴が何を言っても戯言」だの
すでに色んなことを言われた。

何を言われても、私は愛を信じる。
何もない自分を信じてくれた師匠のように。

師匠のような「与える」人間になるために、
私はこれからを生きる。