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母になる準備

子どもを産むことは、キセキとよくいうけれど
本当に、ほんとうだ。

6月9日(火) 妊娠6週目で流産を経験した。

6月は、いろんな感情で溢れた怒涛の1ヶ月だった
同じような経験をして、検索してたどり着いた人に読んでもらいたいのと
自分の中で整理するためにも、書き記すことにした。

あまりに長いので2つの記事に。
・母になる準備  (妊娠~流産した話)
・復活までに1ヶ月(流産後の話


生理がこない☞妊娠検査薬

4月末を最後に生理が来ず
基礎体温も37.0~2度をウロウロする日が2週間以上続いた。
もしかして!?と思い、市販の妊娠検査薬(クリアブルー)を試してみた。

違ったらどうしよう、がっかりするし、でもきっと妊娠してるはずだし…
ドキドキしすぎて、尿をかける量が足りなかった・・・。
2本入り買っておいてよかった~と思いながら、次は紙コップで検査。

6月7日(日)、くっきりと一瞬で陽性にラインがついた。
今まで何度か試したことがあったので、これは間違いないと思った。
やっぱり!!というあの時のトイレでの高揚感は忘れない。

ただ、信じられない気もあって、翌日6月8日(月)も朝一で検査。
同じように、一瞬で陽性にラインがついた。

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高まりを抑えられずに、夕方に近くのクリニックで検査を実施した。
エコー写真をもらってやっと 妊娠は本当なんだと実感。
スキップをして帰っていたが、文字通り浮足立っていたな。

軽い出血☞救急車

翌日6月9日(火) 朝から微量の出血があった。
昨日の診察の影響かな~なんて思っていたが、なんだか嫌な予感がした。

昼過ぎには、朝より多めの出血。
ネットで検索しまくり、さらに不安になってしまったので
彼(夫)に状況を連絡しておいた。

この連絡が、後々わたしを助けることになったので
こまめな報連相は大事だと再認識した。

定時17時ごろ、なんだか体が重く、生理痛のような気持ち悪い下腹部痛。
在宅勤務を終え、早めにやること済まして、休もうと動き出したとき
ものすごい眩暈と下腹部に激痛が。。。

でも、なぜかご飯だけは作ってしまおうと
上半身を腰から90°に曲げながら夜ご飯の支度。

30分も経たないうちに「う゛~痛い~」と呻きながら冷や汗が出てきた。
これは異常だと感じて、火を止め、料理を放置し、トイレに駆け込んだ。

強-弱のレベルではなく、最強-強の波で下腹部痛。
気持ち悪いけど吐かない。出血もそんなに多くない。
流産が頭にチラつくが、こんな生理痛あるのか?!と訳分からない思考で
なんとか携帯を握ってベッドに倒れこんだ。

そしてタイミングよく、彼(夫)から電話が。

画面をスワイプすらできないほど手が痙攣し、痺れていた。
ロック画面から、なんとか不在着信表示を顎でスワイプして かけ直すと

心配だったからもう帰り道で、あと30分くらいで着くとのこと。
はやく・・・ 手足が痺れ始めた・・・と伝えるのが精一杯。

死ぬほど下腹部が痛い、加えて手足が痺れてきた恐怖と
行きつく先はどうなるんだろうという不安が頭をめぐっていた。

急いで帰宅してくれた彼は、病院、病院・・・と言いながら検索していたが
わたしの呼吸が早くなり、口も痺れ始めて会話にならず
救急車を呼んだ。

もしひどい生理痛なだけだったら大袈裟すぎる と
一瞬、頭が冷静になったが、救急車も一瞬で到着。

人生初めての救急車は、揺れがすごい。
でも、痛みと痙攣に不安と恐怖で目を開けられず気が付いたら病院。

そして点滴と診察。

婦人科の先生に診てもらうタイミングでドロっとしたものが。
血だらけの細胞を見て、 ショックというより 衝撃のほうが大きかった。
恐竜の卵のような大きさで、そのときは知識がなく
これが胎嚢というのを知らなかった。

でも、もっと衝撃的だったのは、先生が看護師さんに言ったこと。

「これ(指さして)、ホルマリン漬けにして病理に回して」

なんとも事務的。

そして、わたしと彼(夫)に言ったこと。

「今回は残念ですが、流産です。(棒読み)
 ただ子宮外妊娠などではありませんでしたので正常妊娠でした。」

何を求めてたわけでもないけど、こんなあっさりしてるのか。

流産の事実は、妊娠したときと同じくらい信じられなかった。
静かにタクシーで帰路についた。

実に悶絶し始めてから帰宅まで5時間。いろいろな事が起きた。
不安を感じて早く帰ってきてくれ、付き添ってくれた彼(夫)
救急隊の方の迅速さ
病院ですぐ痛み止め打ってくれた看護師さん
救急化にいた先生
まだまだ細胞だった赤ちゃん

みなさまありがとう。

次はもっと母になるための準備しておくから
そのときはまた戻ってきてね。

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