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自らの性別を理解した契機

昨日のnoteで大胆に憚らない話をした勢いで、これも書こうか。

この、混沌たる性別スパゲッティ状態を、一体どうやって認識したのかという、その契機を。

私には、恋人がいた。
同じ小学中学へ通い、同じ学童保育や部活へ属して、そして別々の高校へ進学した、友人の一人だった。
高校1年の秋が始まった、とある日。久しぶりに会えないかと、連絡が来て。そして、好きですと、付き合ってくださいと、告白をされた。そして、私はそれを受けた。彼と私は、恋人となった。
思春期における男女の、ごくありふれた一コマだ。

全くもってありふれていなかったのは、私が性同一性障害の同性愛者で、その上、それに一切気づいていなかったことだ。

私にそれを気づかせたのは、私を救ったのは、彼だ。
電車を待つホームで、手持ち無沙汰だった私から恋人繋ぎをして、たくさん付けた指輪が邪魔だね、とはにかんだり。不意に勃起してしまったのを、身体を背け、膝を立てて隠して、見ないほうがいい、ごめん、ちょっと待ってて、と言い、しばらく苦しそうに耐えていたり。デートの別れ際に、ささやかなキスをしたり。後ろから腕を回し――つまり、勃起を私に見せないようにして――服越しに身体へ触れたり。

そんな月日を経て。あの日、正座で、緊張した面持ちで。
「訊きたいことがあるんだけど、いい?」「……今日、生理ですか」と、切り出してくれなかったら。

彼が、私を好いていなかったら。彼が、私に告白をしなかったら。彼が、私に性的興奮を覚えていなかったら。彼が、思春期真っ盛りの男子が、好きな女の子と恋人同士である状況で、セックスがしたくてたまらなかっただろうに、私を大切に思って、1年という時間をかけてくれなかったら。そして、断りを聞いて、潔く引いてくれなかったら。
私は、自らの性同一性と性指向を理解することは、できなかっただろう。

そして私は、私を救うこととなるその言葉に、「あー……うん。そういう、ね。生理では、ない、よ?」とまず答え、そして、「その、保健の授業以上に性交の知識がないんだけど、もし妊娠したら、どうするの」と訊き、「そりゃあ、責任取って結婚しますよ?」と、互いに顔を赤らめながら会話を重ねていき、「なら、せめて結婚が可能な18歳まで、待ってほしい」と、時間稼ぎをした。

そうしながら、頭の中では、(私はあなたが好きで、性的欲求もある。なのに、違う。性交をしたくない。私は女の子じゃない。あなたが女の子として好いている私は、女の子じゃない。私があなたを好いているのは、女の子としてじゃない)――という、訳の分からない認識が生じていた。
彼と、"この身体"が交わる光景を想像して、到底理解不能なおぞましさに襲われていた。

彼は、今までの経過から想定はしていたのだろう、「そっかあ」としょんぼり笑って、「せっかく、恥ずかしいのに買ってきたんだよー?」と、少しおどけた口調で、傍らのリュックサックをぽんと叩いた。おそらくは、コンビニ袋とコンドームが入ったそれを。

私は全く混乱を脱せず、理由も意味も分からないので脱しようがなく、ごめん、と謝って、そして、場を流すようにして、早々に彼を帰らせた。

そのまま数週間考え続け、しかし私は混乱を解決できず、しかし、「このまま彼と付き合い続けることはできない」ということだけは理解ができ、メールで別れを告げた。
そして、よりによってその日は、彼が私に告白し、私が受けた日だった。彼からはその指摘と、衝撃と悲嘆を綴った返信が来たが、当時の私は、それ以上の好手を取れなかった。

機会が、欲しい。友人2人に、カミングアウトができたように。
彼に、謝罪と感謝を伝える機会が。

ここにも書いたように、この頃の私は、死のうとしていた。

進学という環境変化が発達障害を顕在化し、校風と男女比が性同一性障害を顕在化し、二次障害として抑鬱を招いていた。自分に合った偏差値の高校へ入ったから、こんな状態でまともに授業についていけるわけがなかった。一学期の終業式に渡された惨憺たる成績表が、私に止めを刺した。

私には、勉学しかなかった。己がアカデミアから出たら死ぬ類の人間であることは、薄々理解していた。唯一の保護者である母は、「あなたには悪いけど、大学までは通わせてあげられないから、行きたいなら費用は自分でどうにかしてね」と常々口にしていた。

片田舎の公立中ではあったものの、絵に描いたような優等生で通り、内申について「その地毛の明るさはきちんと書き添えておきますからね。あなたの評価に傷が付くなんてとんでもない」と告げられ、滑り止めは最上ランクの特待を得、本命の県外推薦もあっさり合格し、実の親に「一度くらい挫折を経験しておいたら」とまで言われ、入学最初の学力テストの順位は五指に入った。このまま一番上の奨学金を取って、大学も自分で選んで、自分で通って、将来は学者になって、生涯を象牙の塔で送るのだと夢見ていた。

2015/06/21 00:47
だからさらっと進学を候補に混ぜるのやめよう。入れるのは通院と治療でしょう。何が進学だ象牙の塔で一生を過ごす夢なんざ捨てなさい。もう無理です。「高校3年間優良な成績を修め推薦で大学に入る」の分岐で失敗したので無理です
1506アーカイブ|森野舞良|note

そして、夢に終わった。茫然としたまま夏休みが過ぎていき、課題に手を付けることも、ベッドから降りることもできず、増していく抑鬱に、希死念慮に、蝕まれていった。

そのまま夏休みが終わり、そのまま不登校になり、自殺企図が始まった折に、告白をされた。
ぐちゃぐちゃの引き篭もりでも、人前では人型を保とうとする。そうして彼は、私を1年延命した。
そうして彼の齎した「訳の分からない認識」は、まさしく、正鵠を射ていた。

彼は、私を救ったのだ。

成人式でも、会うことは叶わなかった。しかしこの時世、訊いて回れば連絡を取るなど容易いはずだ。
それでも、切っ掛けがないと、動けない。ごくありふれた、青春における淡い恋愛の思い出となってくれていることを、事あるごとに祈るばかりだ。

そして、もし本当に、ごくありふれた、淡い思い出となってくれていたならば。
それを、今さらになって穢して、傷つけて、壊してしまうことが、怖い。

「初カノが実は男でゲイだった」なんて、破壊力が過ぎるだろう?

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