隣に立ってる人はどんな人?
こんにちは。
病気の治療のために脱毛した髪が伸びかけの
えむみです。
先日、そんな短髪を少しでもおしゃれに見せたいと目論み、帽子屋さんに立ち寄りました。
そこでのお話です。
駅ビルの中にある帽子屋に入ると、
平日の午前中ということもあってか人は少なく
私がサマーベレー帽を物色しているところに
上品なマダムが二人お店に入ってきました。
まだ落ち合ったばかりと見られるお二人は
お互いの予定をとにかく気にしていました。
「〇〇さんは今日は何時までいられる?
忙しいだろうと思ったから」
「そんなことないのよ、お父さんには用意してきたから」
と、同じようなやりとりを何度かしたあと、
「この間の血液検査ね…」
と私の心がザワザワする話題が聞こえてきました。
自分のはもちろんのこと、人の病気についてもちょっと敏感な私。
大事な人に病気発覚なんてことは考えたくも無いし、見ず知らずの他人でも何か悪いものが見つかったという話は聞きたくないと思ったりします。
私が密かにザワついているうちに
もう一人のマダムが気を遣って、
「こっちで話しましょう」
と私から少し離れた場所へ行きました。
「それがね、何もなかったのよ」
という答えが返ってきて、
(何かあったときに大きな声だと、という配慮だったのだろうけど、ごめんなさい聞こえていました)
「良かったじゃない」
とお友達マダムも答えました。
悪いニュースじゃなくて良かったなと思いながら、マダム達は隣にいる私ががん経験者で、
ウィッグを被っていて、
髪の毛あんまりないから帽子を探してる、
なーんて思ってもいないんだろうな。
とふと思いました。
年齢的にも一応、AYA世代だし。
私の年齢だと、ほとんどの人には大病をしてるとは思われません。
そこで。
隣にいるのはどんな人か考えたりしますか。
みんな涼しい顔で日常生活送ってるように見えて、人生何十年目となれば、そこそこの辛さも喜びも経験していてもおかしくないと思います。
病気、離婚、結婚、出産、死別、被害者と加害者…etc
若くして経験している人もいれば、それぞれのタイミングで山なり谷なりを一生懸命進もうとしている。
電車で隣に立つ人、
スーパーで見かける人、
駅への道ですれ違う人が、
もしかしたら今どん底にいるかもしれない。
今回のマダムは大事に至らなかったようで良かったのだけど、余命を感じながら生きている人もいるかもしれない。
そもそもマダムたちも、人生の大波小波の経験者だろうし。
そんなのは既知の事実だと思われるかもしれないですが、
そのことに真剣に思いを馳せることは、
病気以前の私は無かったように思います。
隣の人に優しくしよう。
その人は今苦しんでる人かもしれないから。
苦しんでる人が少しでも生きやすくなるように。
お互いにそんな気遣いを少しできたら、優しい世の中になりそう。
ちょっとキレイごとのようだけど、
マダム達の会話でそんなことを考えたのでした🌿
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