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「好き嫌いはしちゃダメよ」

この言葉を目や耳に入れると、家族みんなで食卓を囲った幼い頃の記憶が自然と蘇る。苦手な野菜を恐る恐る避けて食べる私に気づいた母が、一言そう言って注意するのだ。しまった、と思い私は嫌な顔をするのだが、「1口だけで良いから」という母の甘い文句に誘われて、結局は口にする。それを繰り返すうちに、気づけば皿の上で見るのすら嫌だった野菜(例えばナス)も1口2口と言わず何口でも抵抗感無く食べられるようになった。あの頃の母の言葉が無ければ、こうして好き嫌いなく食を楽しめている今の私はいなかっただろう。

最初にこんな話をしたのは、一人暮らししながら風邪で寝込んで実家の食事が恋しくなったからではない(本当はそろそろ食べに帰りたい)。今の私たちがあらゆる面で好き嫌いしすぎであると思ったからだ。その機会が増えていると言ってもいい。ネット上でAIがこれまでの行動に合った様々なコンテンツや広告などをレコメンドしてくる、これは私たちが無意識に行う好き嫌いだ。一方で、SNS上でフォローする人を自ら取捨選択しタイムラインをデザインする、これは意識的に行う好き嫌いだ。これらネット社会では当たり前となっている“好き嫌い”はフィルターバブルとも言われ世界中で議論を呼んでいる。

この現象の面白いところは、ミクロで見た時にはパーソナライズされた情報が一見便利なように見えて個人の思考を画一化してしまうきらいがあるのに対し、マクロで見た時には全体としての多様性を受容していることである。このように分けて捉えると、問題はよく指摘される情報や思考の偏りではない気がする。誰だって興味のある情報が真っ先に欲しいし、似通った考えの集団に属することは心地が良いのだ。では、一体何が問題なのか。それは“好き嫌い”によって周りが見えなくなった結果、インターネットの匿名性と合わさって、個人あるいは集団としての対立意識が強まることではないだろうか。

少し前には暗号資産業界でそれが顕著に表れていた。ビットコイン派、ビットコインキャッシュ派、リップル派、ネム派、リスク派などなど、おそらく個人で見た時には各々が支持する通貨を基準に情報そしてコミュニティのフィルターをかけていたと思う。ところが、その通貨に批判的な情報を一つでも目にすると、荒々しく意見してみたり、逆に他方をけなしたり、議論が成立したとしても最終的にはどちらかが一方を遮断(ブロック) したりと、互いが“好き嫌い”しすぎていて見るに堪えなかった。この業界に限らず、SNS上ではそんなやり取りが日常的に行われている。

Netflixオリジナルドラマ「ブラックミラー」のある回では、この行く末が想像上で描かれていた。いずれは現実世界においても自分が恣意的にフィルターをかけ誰かを遮断(ブロック)する世界が訪れるのかもしれない。当然一度遮断されてしまえば、五感全てで訴えてもその人に何かが伝わることはなく、そこに対話の余地は一切ない。“好き嫌い”は確かに人の繋がりを強固にする。けれど相互理解の機会を奪い、そこに不要な争いを生む。 それでいい、と言う人がいるかもしれないが、私は嫌だ。もっと平和に生きたい。

「好き嫌いはしちゃダメよ」という母の教えはやっぱり正しかった。

#好き嫌い #フィルターバブル #インターネット #SNS #暗号資産 #コラム

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