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デジタルから離れた時間・空間こそ幸せ

先週末、私は都内ある場所の公園でブルーシートを敷きながら友人たちと餃子をつまみにお酒を飲んでいた。すぐ近くで全国各地の名店が集まる餃子フェスが開かれていたからだ。あたりは盛況で、緑の芝生がほとんど覆われるくらいに、友人同士の集まりや家族連れ、カップルらで溢れ返っていた。最初その場に着いた時は外で飲むには少し肌寒さを感じたが、いざ飲み始めると会話が弾んでそんなこともすぐに忘れた。ふと周りを見渡すと、あちこちの島で笑いが生まれていて、それがどこか温かった。「あぁ、この時間、この空間、素敵だなぁ。」

そういえば、前にも同じことを思った。今年の夏にエジプト旅行をしていた時である。旅友とレストランで夕食を食べ終えてホテルへと帰る途中、駅前の広場を通りかかると、そこは老若男女の地元の人たちで一杯になっていた。こんな時間まで一体何をしているのだろう、と気になって見ると、お酒を飲む人もいれば、何かボールで遊ぶ人、ただまったりする人もいて色々な人がいた。ただ、共通して、みんなが目の前の人との時間を大切にしているように見えた。その時、旅友と「なんか、いいね。」としみじみ話したことを覚えている。

日本だと、誰かといてもすぐに携帯やテレビに気が引かれてしまう。自分がそうでなくても、隣に目を向けた時には誰かしらが画面に夢中になっている。駅でも飲食店でも道端でも。それが最初に述べた公園であっても”一人も”ということはない。しかし、これほどにデジタルが暮らしに根付いているからこそ、私はそういったデジタルから出来るだけ離れた時間・空間に幸せを感じる。小説「マチネの終わり」はやっぱり携帯ではなく本を手にとって読みたいし、NHKラグビーテーマソング「ECHO」はやっぱりイヤホンではなく生歌で聞きたいのだ(どちらも最高だった)。

少し前までの一日の過ごし方を振り返ると、起床してからその日寝るまでのほとんどの時間を何かしらのモニターを見て過ごしていた。仕事中は外に出ることもなく社内でパソコンとにらめっこ、通勤中は電車内で携帯とにらめっこ、家に帰ってからも携帯かテレビとにらめっこ。この頃は光る画面越しに文字を読むと拒否反応が出るほどであったが、適度にデジタルデトックスをすることで、最近では目の疲れも減って何気ない日常の幸福度が増している。”毒”に犯されるのは、終わりの見えない、暗号資産・ブロックチェーンのリサーチをしている時だけで十分だ。

#コラム #デジタル #暗号資産 #ブロックチェーン

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