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nobara(3)

真灯まほ


 先月ある雑誌社から取材の申し込みがあった。聞いた事のない雑誌名だったが、私がそういうものに疎いだけだろうか。

 占いの仕事は本業の傍やっていたものだった。稼ぐつもりもなく、友人や知り合いその紹介などを霊視で占っていた。

 1年程前までは進学向けの画塾に講師として勤めていた。主に美術大学の入試対策の為に通う塾。私自身小さい頃から絵を描くのが好きで、大人も私の描くものをよく褒めてくれた。
 講師を始めて半年程して職場の同期の男性と交際を始めた。彼は浪人して大学を出たため年齢は2個上で物静かなで白く細い首に掛かる黒い艶やかな髪が美しかった。口数は少ないが趣味が合い良く一緒に映画館に行っていた。ただ唯一合わないジャンルがスプラッター系の映画。私もホラーやサスペンスは好きだけど血みどろで残虐なシーンが多いものは苦手だった。

 彼の大学での専攻は日本画。色素の薄い配色に細く青味のある墨の稜線。モチーフはヒトの身体。胴だけだったり右腕の手先から腕までだけだったり。断裁された部分からは神経や欠陥がヒラヒラと出ているがその着彩は淡白で生を感じさせないものだった。残虐な表現は苦手だが、美術と思えば解剖図のような物と考えられて平気だった。私も日本画を専攻していたがその殆どが花をモチーフにしていた。

 小学一年生の時に図工の授業で自画像を描いた事があった。パステルを使って、ハガキ大くらいのコンパクトミラーをみながら描く。粗方人物を描き、背景周りは黄色のパステルで。普通に見れば焦茶色の私の瞳。その時鏡に写る私の瞳は少し青味がかっていて見えたので一度茶色のパステルで瞳をぐりぐりと塗り、その上から水色のパステルで軽く色を塗り重ねて指で擦りぼかしていった。その時、生徒を見回っていた担任の先生が
「あなたの眼は青じゃないでしょう?」と茶色のパステルを渡してきた。当時人見知りで大人しかった私は言い返す事も出来ず無言でその瞳を、渡された茶色いパステルで塗りつぶした。
 先生も、悪意があって言ったんじゃ無いと分かっていたけど悲しかった。それから人を描くのは好きになれず静物画を主に描くように。あの日先生の周りに視えた纏わるもやのような物も、きっと皆んなには視えないのだと知った。

 自分の感情が昂ると視えたその靄は、大人になるにつれコントロールできるようになった。そして色や形も具体的になっていった。

 ある夏の夜、彼が夜間の講座を終えて私の家に帰る予定が、次の日の課題を準備が終わらないので今日は自宅に帰ると連絡が。夜間、社会人向けの絵画講座も受け持っていた彼は付き合った当初から予定をパスする事がしばしば。その日は連絡が20時頃、私は画塾の近くにアパートを借りていたので作っていた夕食をタッパーに詰めて持っていく事に。

 建物の3階に講師用の小さなアトリエがいくつかあり、手本用の絵の作製や準備に使用している。その部屋の明かりが付いているのを確認し、裏口から階段を上がって3階へ。明かりのついたその部屋のからは、話し声と彼がよく聞いていた音楽が漏れ出ていた。他の講師も作業しているのだろうと思い耳を傾け歩き出そうとした足を止めた。彼らしき男の声の間に聞こえる女性の声。そっと、ゆっくり進みドア横の壁に背中を付けて耳をそばだてる。男女の深い吐息に混じり木の椅子引きずるような音、椅子の引きずる音と同じ間隔で聞こえる衣擦れの音。思わず手で口を塞ぎ直ぐにでもその場から立ち去りたい衝動を抑えきた時と同じくゆっくりと出口へ向かった。

 絶望と喪失感の中建物のを出ると小走りで近くのコンビニに入り呼吸を整えながらお手洗いへ。用を足すでもなく戸の内側を背もたれにし出来事を振り返る。本当に彼だった?顔は見ていないし声も微かだった。警備の関係で24時には施錠し建物を出なければならない。声の主を確かめるため、イートインスペースでコーヒーを飲みながら、時々建物の方に目をやって時間が過ぎるのを待った。22時前、アトリエの電気が消えた。コンビニを出て建物から降りてくる人を陰から観察する。最初に出てきたのはスカートタイプのカジュアルフォーマルな女性の姿、次に出てきたのは…。彼だった。信じたく無い事が現実になってしまった。彼らはこちらの方に歩いてくる。コンビニに入るのか、思わず飛び出し隣のマンションの駐輪スペースへ駆け込み身を潜めた。

 駐輪場の角で膝を抱え、動悸で呼吸が乱れる。涙が止まらない、喉が押さえつけられる様で嗚咽も声にならない。そろそろ居なくなったかと思った時
「大丈夫ですか?」
女性が声をかけてくれた。みっともない姿だと思いながら少し頭を上げる。涙で潤み視界がぼやけて最初は分からなかったが、全身をよく見るとその女性はさっきの女だ。そしてその背後には彼が立っていた。
真帆まほ…」
彼は驚きを堪えた様な声で私の名前を呟いた。
「友達?どうしたの?」
女は状況も分からず不思議そうに私と彼を交互に見ている。

 私は流れる涙を手で押さえ彼の方を見上げると、なぜか彼の顔は殆ど見えなかった。黒い靄が、しかも数個の布が巻き付く様に絡まりあっている。尋常じゃない、何体もの生き霊が彼の体を見えないほどに覆っていた。

 

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