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nobara(5)

 2人が店を出ると、沖田は目の前に停められた車の助手席のドアノブに手を掛ける。
「後ろどうぞ。」
沖田に続いて篠永が乗り込むと運転席には赤っぽい茶髪を高くポニーテールにした女性が座っている。
「初めてだよね?アシスタント兼運転手の希空のあちゃん。」
末田まつだ希空です。前からすみません。」
ハンドルを握る彼女は後部座席を振り返りはにかむ笑顔を見せ、「では出発しますねー。」と前を向き直りエンジンをかけた。車は朝のラッシュを過ぎた大通りを軽快に走りだす。

「前のアシスタントはどうしたの?」
大知だいち?今も働いてるよ。子どもが産まれてね、時短中なんだ。」
「じゃあ、今は末田さんが沖田さんにこき使われてる訳ね。」
「ふふふ、まぁそんなところですかね。」
その言い方はちょっとなぁ、と苦笑いを浮かべる姿がバックミラー越しに見える。沖田は飄々として見えてしっかり仕事をこなす男だ。車中末田とのやりとりを見てその表情や会話から充実した日々を感じ取れる。

 「じゃあ車停めてきますね。」
降車し篠永は目の前の建物を下から上へと眺める。コンクリート塀に小窓が四つ上部の方に横一列並んでいる。一回は背の高い車も入る車庫と中につながる入口が一つ。表に入口らしきものはない。
「こっちはお客様用だからうちの車は別の場所に停めるんだよ。」
こっち、と手を奥のドアへやると続いて中へ。

 入口正面は上へ向かう階段、右はコンクリート壁に間接照明が下がっている。左に曲がると直ぐエレベーターがあった。車庫を含むと総階数は3回。2階は事務所や休憩室、倉庫などがあるスタッフルームで3階が撮影スタジオのようだ。
 3階へ上がると、2階を案内されている間に到着した末田が照明を点けて撮影の準備をしていた。

「早いな、優秀なスタッフを見つけて来るもんだね。」
「自分に素直に生きてりゃ不思議と集まってくるのよ。お前みたいに強引にはしないさ。」
「嫌な言い方だなぁ、」
「奥さんだって半ば強引だったじゃないか」
「あれは惹かれあったの」
「そおかねぇー」

 暫く談笑していると病院の呼び出しベルのようなインターホンの音が響いた。末田が壁に備えられた内線で応答する。
「おはようございます。お待ちしておりました、直ぐに向かいます。…沖田さん、ヘアメイクさんいらっしゃったので控室お通ししてきます。」
「よろしく。」
末田はエレベーターで一階へ降りて行った。
「そろそろ引き上げるとするよ、末田さん、働かせすぎないようにね。」
沖田がコードに繋がれたカメラを手に取り誰も立っていないホリゾントに向けてレンズを覗き込む。
「大知が復帰したら少しは楽させてあげられるさ。」

 一瞬の静寂の後、内線が鳴る。
「はい、あぁ早かったね、OKじゃあそのまま控室に。アップまでどのくらい?…早くても30分、分かった。10〜15分スタジオ離れるから残りのスタンバイだけよろしく。あと今ケーブル繋いでるカメラのレンズにブロアーかけといて。」
内線を切り、エレベーターを呼び出す。

「…お客様が早めのご到着のようでね、準備できるまで時間かかるし駅まで送るよ。」

 2人は事務所まで降りると、沖田が「ちょっと待ってて、挨拶だけ先にしてくる。」と事務所内で篠永を待たせ、奥の扉をノックし入って行った。
 もごもごと籠った声、時折大きな笑い声が隣の部屋から漏れ聞こえる。窓の無い(正確には小さな換気用の窓がいくつかある)部屋の壁は他の部屋や通路と同じく打ちっぱなしのコンクリートだ。プライバシー保護だろうが窮屈に感じる空間だ。

「…では、後ほどお待ちしております。」
後退りながら沖田が部屋から出てきた。

「お待たせ、行こうか。」
スタジオを出て、少し歩いた先に月極の駐車場がありそこに先程乗った車が停まっていた。車を走らせて数分、沖田は赤信号を眺めながら左手で器用にスマホを操作して見せる。
「今日はこの子の撮影なんだよ、新進気鋭の役者さん。」
「あー、顔は分かる気がするなぁ。」
朝香あさかめぐ、今回は宣材写真を変えるのに来たんだけどね、なにせ前はまだ高校生っだったからね…。」

白い肌に長い黒髪が映えるその女性は歳の頃22、3と見える。これは
あえて化粧っ気の無い写真なのだろうか、ソバカスのある頬、赤みを帯びた唇は閉じたまま、真っ直ぐと鋭くカメラを見つめる瞳は淡いベージュのような黄土色に艶めいていた。

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