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相手の正しさを押し付けられたとき

 私の活動は「地球環境によって何も奪われない・諦めない世の中でありたい」という想いから、今起きていることを知って考え続ける、正しく伝えていく、未来を創造できるチカラを一緒に育んでいくために、地球温暖化防止活動の業務や2030SDGsを提供しております。そして、受け身ではなく自分ゴトとして何かにアクションを起こしてもらいたいと思っています。そのため、私のコアな部分とニュアンスが合わない場合は、お互い同じ企画をしていたとしても一緒に活動はできないのだなということを最近痛感しました。

 ある日、「ある活動家の講演会に参加したい、わたしの周りの方々にこの方の活動を広めたい、だからいい知恵を出し合ってまいりましょう!」お会いしたことのない方からこのようなメッセージが届きました。

 この活動家の事務局の方から講演会をされませんか?との依頼が確かに私の元にきていました。そのため、講演会を行うことで自分や参加者がどうあるべきか?私なりに真剣に考えて企画を進めていた矢先でした。目的は講演会を行うことなので、最終目的は同じです。一緒にやれればとてもいいイベントになったことと思います(相手はかなり立場のある方でした)。ただ、内容(あり方)の部分より開催すること(行動)を重要視しているようでした。

 この活動家の方の活動は本当に尊敬できるもので中々できることではない。活動を広めていきたいと私自身も思っております。ただ、この活動家の話を聞くことによって、何を感じ、どう行動するのか、今後の自分たちの意識・行動変容につなげることこそ大事な部分なのではないかとの思いがありました。そのため、活動家の方の活動を広めるために講演会をしたいという想いと私の想いは「想いの方向性がずれている、ニュアンスが合わない」と感じずにはいられませんでした。

 その後も折り合いをつけようと試みてみましたが、残念ながら私のほうの想いには何の返答もなく、自分たちのやり方が正しいという押し付けだけされ続けました(結局別々に行う段取りまで私が行い、事務局から良い返事がもらえたらこちらのことは完全に無視という後味の悪いものでした)。ただ、相手側も私の正しさを押し付けられているように感じていたかもしれません。正しさがぶつかり合うってすごくさみしいものだと感じた出来事でした。

 この出来事の最中にこの活動家のFBに上がっていたタイムリーな文章をみて、色々納得した自分がいましたのでご紹介して終わります。(一部抜粋)

【人が最も攻撃的になるのは、悪に染まった時ではなく、自分が正義だと思った時】

社会課題を解決しようとする人の多くは、自分がしている事は正しいから、他の人も同じ事をすべきだ、という前提によって失敗する。

人は何かをあなたに押し付けられると、それがどれだけいい事であっても、100%それを嫌いになり、あなたの周りから離れていく。

こうする事が正しい、と自分以外の人に求める行為は、自分の目的から最も遠ざかる行為だと気づこう。

正しさの反対にあるのは、間違いや悪ではなく、もう1つの正しさだ。

正しさは人の数だけある。

正しさで人は動かない。

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