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お別れは、また今度にしよう。

まだ恋人が “ 恋人 ” だった頃のお話。

深夜、突然 恋人から三度の着信が有った。
一度目は 出る気にもなれず、二度目は 少し躊躇った。
三度目は 投げやりな気持ちになり、
見て見ぬフリを決め込み 逃げ切ったつもりでいた。
そのままベッドに入り、眠ろうとしていたら
恋人からテキストメッセージが送られてきた。

文明の利器の御蔭で
幸か不幸か 私たちの暮らしは圧倒的に便利になった。
一昔前ならば 三種の神器と呼ばれたのは
テレビ・洗濯機・冷蔵庫だが
愈々平成も過ぎ去り 伶和の幕開けともなれば
それは目まぐるしく進化を遂げ
スマートフォンこそがその極みではないかと思う。

ありがとうも、ごめんなさいも、指先一つでお手の物。
“さよなら”も、“さ”と打てば予測変換。
脳裏に在る結末までのプロセスさえ
省略可能な世の中になった。電子の世界のシチナラベ。
カップーラーメンを作るより遥かに簡単で
言葉そのものの重みが損なわれていると思う今日この頃である。

恋人からのテキストメッセージの内容は、
すぐ近くまで来ているから、会えないかという主旨だった。
昼間の自らの所行を詫びたいと添えられており、
私の心は静かに物音を立てた。
元々、痴話喧嘩の内容を人様に晒す気は毛頭ない。
というか、痴話喧嘩をした覚えもない。

ただ確かに 何かが噛み合わず、
そしてそれはとても重要なことのように思う一方で、
仕方の無いことだとも感じていたし、
どこかとても薄っぺらく感じる一方で、
そうでもないように思っていた。
ただ、私にとってはその程度のことで、
相手にとってはそうではなかったというだけだ。

時計を見ると 深夜1時を過ぎようとしていた。
秒針の音が妙に大きく聞こえる。
面倒だと匙を投げられたら楽なのに
当事者に選ばれた以上 易々と檀上からは降りられない。

遥々 緊急事態宣言下の東から西へと
新幹線に身を委ね やって来たというのに
このまま突き返すわけにもいかない。
せめて、電車が動く時間までは
恋人を自室に滞在させるべきなのだろう。

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盛大に溜息をついたあと、目を閉じて、
深呼吸し、グラスに残ったワインを一気に飲み干し、
テキストメッセージに返信した。

“ 何処にいるの? ”

恋人はすぐ近くのコンビニに居ると答えた。
そして、会ってもらえるならば、会いたいと言った。
やむを得ず 私は恋人を部屋に招いた。
恋人の顔はすっかり憔悴しきっていた。
私の前ではプライド等 何の役にも立たないと言いたげだった。

私にとってプライドとは一種の道具で
持って携行すればいいだけのアイテムではなく
使い道を慎重に選ばなければならない道具で
取扱説明書が有るとすれば それはとても難解なものなのだと思う。

きっとドイツ語やスワヒリ語や中国語など
あらゆる言語で書かれているに違いないソレを
どんな賢い人ですら
上手に使いこなせるはずがないと信じきっている。

肝心の私はどんな顔をしていただろう。
多分 無表情で のっぺりした顔をしていたに違いない。
恋人の前では 常に愛らしく凛としていたい私だが
その日は違った。

私は恋人に冷えた水を手渡し
特に話すことはないと伝えた。
異なる個体同士に色彩齟齬が否めないように
価値観の相違は当然のことであり
それを改めよと言えるほど 私はご立派な人間でもなんでもない。

それから
改めます、許して下さい、ごめんなさい等と
言い負かしたいわけでも なんでもないと付け加えた。

ただ、価値観の相違が顕著になった場合、
それぞれの道を行くしかないというだけだから
そのままの貴方を愛してくれる人と出会えば良いだけで
私と貴方が盛大な喧嘩別れをする話でもなんでもない。
一度きりの人生よ、お友達で居るくらいが丁度いいのよ、
きっと。と、言って 笑ってみせた。

恋人は
“ お願いだから、目を見て。君が必要だ ” と言った。
内蔵がこそばゆくなるような感覚を覚えた。
別段 ときめいたわけでもなんでもない。

何ともナルシシズムに満ちた 自分勝手な人だと思った。
相手の予定も確認せずに
形振り構わず新幹線に飛び乗った瞬間から
恋人の行動は 宛ら安い三文映画 … 訂正。
なんとも滑稽な一人芝居に成り下がっている。
この一人芝居に 付き合わされているのかと思うと
言葉にできない怒りが腹の底を渦巻き始めた。

段ボール箱に詰め込まれた子猫たちが
雨に打たれている場面に出会ったとして
わざわざ 目を合わせようと思うだろうか。
思うはずがない。
ただ、敢えて見て見ぬフリを出来る程の強さを
持ち合わせてはいない。

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余談だが、
この場合に於いての結末は 大体二通りに分かれる。

パターン1は、相手が泣き出す。
パターン2は、強引に抱かれる。

前者は私が大嫌いな筋書きだ。
恥を忍んで泣ける人間は 自分勝手な挙句、
嘘つきだと思う。

“ 思う ” というより
少なくとも私はそう教わって育った。
だから私はもう何年も泣いていない。
行き過ぎた自己愛を押し付けられても
私には通用しない。心に響かない。

だからとて

後者が好ましいわけでもない。
心よりも身体は敏感に正直に反応する。
どうにもならないから、全身で求めるしかない、
或いは征服するしかないという
まぁ、なんというか本能的な感覚に、
単純に人間臭さを感じる。

ところが

好ましいわけではないが
許せないわけでもない。
香水臭さより人間臭さが大切だと思う。

恐らく

太宰治なら前者の路線で徒然なるままに、
三島由紀夫なら後者をより耽美に描き、
寺山修二ならどちらでもない結末を用意する。
村上春樹は…まぁ、いいや、割愛。

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さて、ここで重要なのは私たちの結末。
どのような結論を以って
この夜を終わらせたかは
これを読む皆さんのご想像にお任せするとして…
タイトルに原点回帰。

好きとか 嫌いとか、
愛してるとか 愛していないとか
そんな感性で どうのこうのじゃなくって

そうね 滑稽な一人芝居を
やってのけてしまうところが人間臭いというか
なんというか、ね。
でも だから、堪らなく愛しい。
でも だから、今のところ
この人こそが 私の恋人なのでしょう。

“ お別れは、また今度にしよう ”
私はそう言って、恋人の手を握った。

そんな私たちが
 “ ふうふ ” という形を選び取るのは
まだ、もう少し先のお話。

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