余計なお世話

先週の投稿は、長文にお付き合い頂きありがとうございました。今日は、前回の投稿のきっかけとなった、友達とのやりとりの詳細について紐解きます。ぜひお付き合い下さい😌

そもそもの話。私が笑えなかった友達の一言は「そんなこともm__lovemiの彼氏は1人で出来ないのか」って発言だった。話の流れとしては、『私が最近、仕事終わりの平日であっても、夜ご飯を作る時間をかけるようになった。その代わり、手の込んだものを多めに作ることで、翌日はレンジで温めるだけで済ましてしまう程の手抜きな日も増えた』って話だ。それを、私的には面白可笑しく話したつもり。彼の帰宅時間よりも遅く料理している時は「まだ作ってるからちょっと待って」って言うし、レンジで温めるだけの時は「今から温めるからちょっと待って」って言って『どの道待たせてるんだよね』って私は笑って話した。
それに対して友達は、「電子レンジで温めることも彼氏は1人で出来んのか。そんなもの彼氏にやらせればいいのに。m__lovemiだって働いてるのに何でm__lovemiばっかり動くのよ。私には到底理解できない」って発言だった。それに対して私は、「そうよね、あなたには理解されないのは分かってるよ。だけど私は動きたいの。彼が出来ないから動く訳じゃないわ。『自分も働いてるから彼氏も家事しろ』なんて、私は思わない。私の場合は、家事と両立するために今の仕事に就いたのに、彼に動かせるなんて逆に自己嫌悪だわって感じ。『やってあげてる』なんて思ったことは1度も無い。」位のことはたぶん言い返したと記憶している。その後の会話の流れは、正直余り記憶していないけれど、【友達との距離感】を再び模索するきっかけになった詳細は、こんな感じだ。

この直後、私が1番最初に思ったことは『余計なお世話だ』ってこと。だって、『私の家のことなのに、なんで友達が、私の彼氏のことをとやかく言う筋合いがある?』って話だと思った。1回や2回なら笑って流せる話だし、そんなことは既に何回もしてきた。
それが、友達に対して急に疑問を抱き、意味がわからないってなった。そして、そう思う自分のことも理解できなかった。
そこから、前回のような長期的な思考回路を辿ることとなった訳だ。しかし、今回のような『余計なお世話』って、『自分が思ったり、相手に対して思わせてしまったり』ってよくある話だよねって私は思った。そんな『余計なお世話』について、私の持論を発信したい。

相手がいて会話が成り立つ時は、基本的に、どちらか一方が話して、もう一方は聞く感じなイメージ。相手の話に対して反応する時、「そうだよね、分かる分かる!」と共感することや「なるほどね、あなたはそう思ったのね。」みたいに肯定することが基本的に多い。そうでない場合には、『私はこう思う』とか『私なら、こうしてみる』とかも、よくあると思う。更に時には『自分の知っている人の話』をしたりとか『自分の経験や持ってる情報』を話したりとかもあると思う。そして、これらのような『あくまでも自分がベース』の話なら、【私は私】【あなたはあなた】の解釈もしやすいと思った。
ところが、今回のやりとりのように、私のテリトリーの中に、真逆な意見の持ち主が、1歩2歩と土足で踏み込んだ発言だった場合。『既に知っていることだから、わざわざ言って来なくていいじゃん』とか『自分の感覚と違うことを、見下げるような言い方で私の彼氏の事言うな』とか思った。それに『そもそもの話、私の彼氏が私と一緒に住む家でどんな風に生活しようが関係ないよね』って思ったし、『私が彼を肯定して、私の納得の上で生活なのに意見するなんて、【余計なお世話】ってやつじゃない?』って気持ちになったのだ。
何を私が思ったとて、【私は私】だし【相手は相手】なんだと思う。そうやって、私自身が話を聞き入れられなかったのが事実なんだけれども、実際のところ、『私のこれまでの人生、似たようなことっていっぱいあったな』って実感したのだ。具体的には、『私の話なのに、私自身が常に他人を頼りに生きてきた』ってのがごもっともな話。『他人が自分のテリトリーの中に入って来ること』を自ら望み、(そもそも自分の価値観なんてなかったので、真逆ではなく)そんな【相手からの新たな価値観】が平気で私の中に蓄積されていった。そして、『それが愛情なんだ』と勘違いしたまま20数年生きてきた。
反対に私は、『相手の困っていることは無いか?』と何となく周りを意識して見渡すのが癖だった。そして、『何とか相手にとって改善に繋がる努力をすること』を求めて過ごしていた。相手がそれほど気にしていなくても、【相手から映るそんな私の姿】で、【私が相手を思う気持ち】が伝わるんだと本気で思っていた。だから、『相手のテリトリーの中に土足で勝手に踏み込んで』は、『私の自己満で相手の心を掻き乱したり荒らしたり』なんてことも、『もしかしたらあったのかもしれない』と反省するくらいの気持ちになる。

上記の実体験のエピソードが、どれだけ読者の皆様に共感を得る話かは、自信がない。けれど、私の意図としては、『自分のテリトリーの中に相手を簡単に入れてしまうこと』『相手のテリトリーの中に自分がズカズカと無神経に侵入すること』は、『立場は反対でも、要は同じこと』だと私は思う。【私は私】【相手は相手】なのだから、『自分のテリトリーは自分で守ること』と同じように『相手のテリトリーも尊重するべき』って気持ちになった。
【私は私】【相手は相手】とはいえ、今回の様に、【気づかないうちに行き過ぎてしまう時】も『そりゃ、あって当然だ』って今は思える。そして、そんな現実を目の当たりにした時、【お互いの距離感】を『自分なりに改善していけばいいんじゃないの?』って結論なんだよね。今回の私の場合、『別に、友達に悪気があったとは本気で思わない』のだから。確かに、『私はそれを受け入れることが難しかったのは事実』だけど、それを納得しつつある今となっては、正直【過去・既に終わった話】の一言に尽きる。『いつまでもグダグダ言ったり思ったりする意味は無い』し、【時間の無駄】だ。
また、今回は、私が『友達の話を納得するのに苦戦した』訳だけど、『逆の立場になることも十分に有り得る話なんだよ』ってことを身をもって経験したって思っている。『相手によっては』とか『相手に合わせて』ってのは、正直、今の私には少し遠のいた考え方。だけど、そうやって思う気持ちや思考を持ち合わせることで『私は相手との関係性を望むんだ』って気持ちも『実際は十分必要な事なんだ』って思う。『無理に気をつけたいとは思わない』けれど、『何となくでも自分の中に留めておきたい気持ち』にはなる。『人間関係って難しいな』としみじみ思うし、『私の課題は、まだまだ深い』と実感する。『スッキリし切れず複雑な心境』なm__lovemiではあるけれど、【更なる成長へと繋げる気持ち】で『今を乗り越えたい』と思っている。

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