アウトプットそのものをお金につなげようと思うな
妊娠して会社に行かなくなってから、社会との接点を絶たれたような気がした。
働いてお金をとっていないことに罪悪感を感じた。
おそらく復帰しても、もとのようには働けないだろうという予感に絶望した。
私がチャレンジしていたはずの資格を取り、会社からお金を出してもらってセミナーに参加する後輩たちに、どんどん抜かれている気がして焦った。
妊娠中、お腹はどんどん大きくなり、毎日眠い。
体調が悪い。頭がぼんやりする。
今日もこれしかできなかった、という日々。
女は。という言い方あまりしたくないけど女は。
女は男と同じようにはいかない。これは事実だ。
どうしたってキャリアが断絶するんだもの。
これまでのようには働けないこと。独身男性のようには働けないこと。
こどもが育ってからさあ自分のキャリア、と思う頃には50代?
そんなやりきれない事実が目の前に立ちはだかったとき、私はキャリア1本のリスクについて思った。
自分で何かしなければ。
会社の名刺がない私になにができるのか、考えなければいけないと思った。
それで始めたのがブログでありTwitterでありInstagramであり、noteだ。
発信を始めてからもうすぐ2年になる。
もともとは安直に、発信自体がお金にならないか、と考えた。
Twitter上にはブログで収益を上げているという人がたくさんいたし、アフィリエイトはとても分かりやすい指標だった。
はじめのころ、1円単位で一喜一憂した。
無名の自分が100円稼げたということが嬉しかったし、同時にお金を稼ぐって大変なことだ、と思った。
毎日のようにアクセス解析を見て、流入経路を見て、アドセンス画面をリロードした。
だけど、今は考えが少し違う。
発信そのもので稼ぐのは諸刃の剣だと思う。
もちろん向き不向きがあり、発信で稼ぎたい人はやれば良いと思う。
だけど、アフィリエイトは雇われのサラリーマンと同じ、他人軸の評価基準に則っていかに評価されるかを考え続けないければいけない。
相手の土俵のルールが変われば、それに合わせて発信内容や発信方法を変えなければいけない。
当たり前だがアフィリエイトの紹介料が変更されれば突然収入が減る。
さらにそうして努力した結果、具体的なスキルがあまり身につかない。
「もっと長い目で見よう」と思った。
アフィリエイトでお金をもらえるのは嬉しい。成果が分かりやすいから前進している気になる。
だけど、それはたぶんずっとは続かないし、何より私が楽しめなかった。
他人軸で、お金のために発信をすることは私にはできない、と思った。
そしてなにより、わずかなお金を稼ぐために時間を使うくらいなら、こどもの顔を見ていたいというのが本音だった。
いまの私は、発信のすべては「自分がどんな考えを持った人間なのか、何ができるのか、どんな価値を提供できるのかを示す名刺」だと考えている。
大学4年生のとき、IT企業に就職が決まっていた私は、一般教養の情報系の授業を取りまくっていた。
その中の授業は、とあるベンダー資格をベースにした講義だったのだが、そのとき先生がこんなことを言った。
君たちは、会社に入ってから業務知識の理解を深めるため、もしくは権威性のために資格を受けるのだと思っているでしょう。
でも僕に言わせればそれは違う。
資格はやりたいことをやるための切符だ。
「これができます」ということを「先に」取ってアピールするための道具に過ぎない。
だから入りたい部署があるならその技術の資格を学生のうちに取りなさい。
学生には何もない。だから資格を取る。
それは自分に合格するだけの力があることを他者に示すためのものだ。
資格そのものに意味があるのではなく、資格は単なるツールに過ぎないということ。
名刺に書かれる役職だって、肩書きだって、保有資格だって、ただの安心材料に過ぎない。
インターネット上のあなたがどんな人間なのか、誰も何も知らない。
それを知らせるものは発信しかないのである。
あなたがこれができると言わなければ、あなたにそれができることを誰も知ることができない。
あなたがどんな人間かを表現しなければ、あなたが信用に足る人間なのか誰にも判断できない。
発信ひとつひとつが金銭に交換できるのではなく、発信で溜めた信用を持ってあなたがサービスを始めたときに、お金を払っても良いよと思える人が何人いるのか、それが重要なのだ、ということが最近腹落ちした。
つまり、発信は自分がやりたいことの布石。
自分がやりたいことを実現するために、自分をどうやって切り取って、どんな軸で自分をプロデュースするのか。
そのために何を発信するのか。
そのためにスキルが不足しているならどうするのか。
スキルがあることを示すためにはどうすればよいのか。
自分でなければならない理由はなにか。
そういうことを考えなければならないと最近は思っている。