幻の世界で最大限に自分のポテンシャルを発揮していく
生きていることってそれ自体が貴重です
なぜなら
生きている、それ自体が幻だから。
どう生きるか、どう死ぬか。
あなたの選択次第です。
なぜなら
人生そのものが幻だから。
2年前のちょうど今頃、
私は特別な経験をしました。
生きている実感を得たくて40年間苦労から目を背けずに、自分なりに最大限の努力をしてやってきた。
その生きてきた証が木っ端微塵に砕き散らされるような経験でした。
私の人生観は文字通り塵となってどこかに消えてなくなってしまいました。
それから私は生きる意味を持つ理由を見失なってしまいました。
私は私じゃなかった。
人生は人生じゃなかった。
人生は私のものじゃなかった。
この世はこの世じゃなかった。
ここには何もなくて、今見えているもの聴こえている音、肌に感じる柔らかい風も全部、幻だったんだ。
あの記憶も、あの感情も、あの経験も、、、全部ぜんぶ、、何も起こっていなかったし、今だってなにも無いんだ。
はじめから何も無かったんだ。
【この私がなにをしてもしなくても、世の中ひとつも変わらない。】
生きる意味を持つ理由がわからなくなった私に残っていたのは、
「まだ死にたくはない」というたった一つの思いだけ。
今日も目が覚めた、今も呼吸をしている、、私はどうやら生きているということらしい。。。でも生きてない。。。
今自分がここで体験しているこの現実は、、現実じゃない。。。
私は私じゃなくて、彼も彼じゃない。。。
真実と幻の間にいる私の脳内では、混乱と混乱が重なり合い、気が狂いそうでした。
毎日毎日、「息をしている」「外へ出れば人がいて」「息子を抱くと温かい」
そんな確認の繰り返し。
それしか自分をこの世に止める方法がなかったんです。
操り人形 No.〇〇〇、、、この真実に絶望していました。
どうにかして、真実と幻の折り合いをつけなくてはいけない。
じゃなきゃ正気を保てない。
「死にたくないなら生きるしか他に選択肢がない。」
「生きると決めたのなら、最大限の自分で生き抜く以外選択肢はない。」
「どちらにしろ全て幻、全て操られてるのだとしたら、今ここの私が思う私の最大値を叩き出し続けてやろうじゃないか!」
自分の心をなだめて正気を保つために必要な決意でした。
この2年間、思いつく限りのことをとにかく手当り次第に全力で向き合ってきました。
トライとエラーの繰り返し。
成功と思われたことすらエラーなのだと気づくための体験。
挑戦と失望&絶望の繰り返し。
遂に「生きる」ことの本当の意味と、そしてそれを体現するために必要なことを理解して再現性を確認できた時、私の人生のなかの1つの章の幕が閉じました。
その章のタイトルは【操られる側だったとしても。だからこそ最大限の喜びを生きる】みたいな感じだたと思います。ダサいけど。
真実と幻の間で繰り広げられた長く深い葛藤から、ようやく開放されたような気分です。
そして、1つの章が終われば同時に新たな章が始まるわけです。
幻の世界を悠々と生きながら、同時に真実の領域を体現していきます。
いや、真実の領域に軸足を置いたまま、同時に幻の世界で最大限に自分のポテンシャルを発揮していくということなのかもしれません。
私の軸足が、幻の世界から真実の領域へと移行していくステージになるということなのでしょうか。
どちらにせよ、操る側と操られる側、この2つが融合していくのだというインスピレーションだけは心の内に感じています。
Intaglation(融合)これぞヨガの真髄。
ようやくここまで来たか。
ついにここまで来れたか。
そんな誇らしい気分。
そして心の内にかすかな緊張感を覚えて背筋が伸びる。
ヨガに出会ってからここまで、
私は20年以上かかりました。
私の周りにいる人達が、
無駄に時間を浪費せずすむように、
そして無駄に絶望を重ねずみすむように、
もしくは、
その肉体が活動停止するまでに真実の領域へと到達することができるように。
私にできる全力で、
自分を発光させていこうと思います。
それが私にとって「生きる」ということだから。
生きていることってそれ自体が貴重です
なぜなら
生きている、それ自体が幻だから。
どう生きるか、どう死ぬか。
あなたの選択次第です。
なぜなら
人生そのものが幻だから。
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