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なぜ靴は「エモい」のか

「良い靴は自分を良いところに連れて行ってくれる」
「一流のビジネスマンほど靴にこだわっている」

靴にまつわる名言(迷言)、それもどこで生まれたかも分からない表現は多い。

そもそも靴には「デザインが優れている」とか「足に合う」とか、物質的・機能的な訴求文句はいくらでもあります。

しかし、なぜ靴にはこうした情緒的訴求(=エモさ)が付きまとうのでしょうか。マーケターの性もあり、あえて偉そうに考察してみました。


■■靴を履くことは行動の源泉である

靴というのは言うまでもなく、足を保護し歩行を助ける機能的役割を持ちます。そして日本国民のほぼ全員が、サンダルなり革靴なり、スニーカなり日常的に靴を履いています。

うーん、すごく物質的な説明ですね。ただ利用シーンに着目すると、靴を履くことは何かのきっかけでしかないと分かります。

靴はあくまで行動の手段。外に出て、誰かに会ったり買い物をしたり、運動をしたり遊んだり、目的が存在します。

それは場面を問わない。靴を履いて外に出る理由は恋人とのデートかもしれないし、大事な商談かもしれない。

職業も問わない。サッカー選手がスパイクを履き、バイクレーサーがブーツを履き、ビジネスパーソンが革靴を履く。

つまり靴を履くという行為はほぼどんな時、どんな人に対しても、活動の「スタート地点」に当てはまるわけです。「あの時はこいつにお世話になったなー」というノスタルジックな感覚は、この出来事とワンセットになるからこそ生まれるのです。


■■靴は自分のライフステージを表す

前章で「あの時はこいつ(靴)にお世話になったなー」という話をしましたが、個人のライフステージによって履く靴が変わることも、エモさの要因と考えられます。

ひとの足は、ビジネスシューズのサイズなら成人男性なら25.5くらい、女性なら23.0くらいが平均だと思います。

ただ、そこにいくまでの成長過程でサイズがころころ変わります。例えば男子中学生なら身長が平気で5~10㎝伸びますから、足だって1~1.5㎝伸びる人もいます。

靴の販売員時代に中学生の子供を持つお母さんが「この子、これから大きくなるもので」と言って、つい大きめのローファーを選ぼうとしていました(転んで危ないから止めて、と言っていました)。

成長だけでなく、まわりの環境による靴の選び方も変わります。所属組織によって制服があったり、趣味嗜好があったりで、全然履くものが異なってきますよね。

あの頃は、革靴に柄物ソックスだった……VANZのスニーカーしか履いてなかった……実家の靴棚はノスタルジーの宝石箱です。こうした成長によるサイズ変化や環境の変化を表す身近なアイテムこそ靴だといえます。


■■靴は未来の自己表現にもなる

靴が醸し出すエモさは何かを考えた時に、靴には「行動の源泉」「ライフステージの証」がある、という話をしてきました。

ただ最後の章では少し視点を変え、あえてロジックを捨て去ります。先日、なんとなく読んでいた詩集のなかから素敵な言葉を見つけました。

靴は歩くためにありますが、どこへ行くか、だれと会うか、のためにもあります。

ここまでは「行動の源泉」説に似ています。

ただ、ここからちょっと目からうろこです。

それは、ある意味、次の場所に想いを馳せることです。これから、この店へ行き、こういう時間をすごしたいと思うとき、それに合ったものを整えます。(中略)

何十年、何十回と旅をしているうちに、わたしは、そういう準備が大切なことを学びました。荷物の優先順位は、軽さやちいささだけではないのです。

「広瀬裕子『あたらしい靴』」

「うおお」。自分はこれを読んだ時に電撃を浴びたように唸りました。

靴を選ぶ手段として、目的地やお会いするひとにフィットするかを想像するという、なんとも未来志向なのです。

靴は過去と現在だけでなく、未来を想像させてしまうのか。

「背伸び体験」とでもいえる、将来の自己表現のために靴を想いを乗せる。非常に含蓄のある詩でした。

思えば冒頭の「良い靴は自分を良いところに連れて行ってくれる」というのは、この立場の人から言わせれば

「自分がその場に行くは、納得のいく適した靴を履いていく必要がある」ということの言い換えなのかもしれません。

旅行という「知らない大地を踏みしめる」「ある程度の距離を歩き回る」という特性が、靴の重要性を直感的に押し上げているという見方もできないでしょうか。

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20分で書き終えるつもりが、倍以上の時間を掛けてしまいました。

とっ散らかってしまったので、思い切ってまとめると下記です。

靴には個々人の「思い出」や「将来像」といった過去から現在、未来にかけて、つい想起させるファクターが多いから、エモい。

以上になります。うん、すごい意味のない議論。

ありがとうございました。


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