カルテ破棄に涙💧

「10年以上前のカルテはもう捨てられていると思います。」


医師から告げられた言葉に衝撃を受けた。たしかに、法的に義務付けられている年数などはあるが、普通定期通院している「現患者」のカルテは多少古くとも捨てないのが一般的だと思っていた。


10年以上前は、結構壮絶で珍しい闘病だった。加えて、昔のこともそれ以降のことも含めてかなり色々乗り越えているので、本にまとめたいとも考えていた。


1年以上の長期入院中、一度も外出も外泊もせず、大半を人工呼吸器を装着して個室で過ごした日々……


その瞬間は
私が生きていた証ってのは、そのカルテくらいのように感じた。


正直、自分の生きた証も捨てられてしまい、夢の一つも永久に失ったように感じた。


普段は結構色々あっても泣かないが、この時は涙目になって声が震えた。


私「生きてた証拠すらなくなっちゃったんだ…… いずれそれをまとめて本に出そうと思っていたのに……」(といった感じのことは咄嗟に口にしたんじゃないかと思う。脳のフィルターは衝撃で機能を停止したが、この言葉(本心)を発したことが逆に功を奏したようだ。考えたことは素直に言った方が良いこともあるようだ。)


大切な事由で、その期間の経歴の空白理由を記載した診断書を提出しなければいけなかったので、その入院の時期を正確に記録から掘り出してもらわなければいけなかった。


その時の外来の先生も大変だっただろう。電子カルテに移行したハショッた部分だけでも莫大な量のカルテ情報だ。その相当量に目を通して、診断書を書いてくれた。


もっと入院が長かったと思っていたので、たった1年強程度だったことに驚きながらも、先生のかなり寛大な対応に感謝した。


先生がカルテを読んで診断書をくれた時は、お願いした時よりもちょっとゲッソリした雰囲気を醸し出していた。量も多くて内容も重かったのだろう。たまたま外来で会っただけなのに、そこまでしてくれてありがとう。なんか、苦労させちゃってごめんね。


その後、その先生が「尊敬しています」という言葉をかけてくれた。


私の心の声「え? なんで?」

けど、こういう温かい言葉って嬉しいよね。


今を大切に生きよう!

追記:今は過去の積み重ねだから、今を満喫すること、今も未来も色々成し遂げることが自分の人生と存在意義の証明であり、過去の正当化になるという考え方もできると思う。

追記:今色々書き残しているのは、もうどこにも過去の闘病記録が無い可能性があり、私が忘れる前に生きた記憶を書き留めたいという理由からだ。

もちろん、体調の影響でオンライン以外の色々なことができず、コロナ5類ヘの法改正以後、ぱったりオンライン対応を皆無にしてしまった所も多いことも影響している。それまで参加できていたことでも、かなり参加困難なことは多い。

本当は暇じゃないが、若干暇を作れる今のうちに思い出した瞬間に、色々書き残したいと思っている。

そして、ここ数年で色々疲れた。なので、今は充電中。ちょうど、充電ができてきたので、そろそろ色々と動き出した方がいいだろうね。焦らず体調に合わせて動くのでいいだろう。

今が再び空白の期間になってしまっているので、この時間に荒削りでも色々書き残しておきたいものだ。

Publish or perish 出版するか滅びるか(和訳は私)とはよく言う。結局、他者と交わらずにただ生存していても、それにどのような付加価値があるのかは分からない。(神様は見ているとは言うけれども……)であれば、その期間をネットで多くの人の目にも触れる形で書くことで、今自分が生きている意味を作りたい、なんていう願望もあったりね。

最初は、きっと多くの人に希望を与えられるのではないかと思った。今は、たとえ直感的に分かりやすくなくとも、記録上は消された事実でも、誰かの目には止まり、誰かの心には響いてくれたらいいなぁ、と思っている。

ぜひサポートよろしくお願いします。 ・治療費 ・学費 等 に使用し、より良い未来の構築に全力で取り組みます。