東京に引っ越してきた。

私は物心ついた時から、ずっと東北で暮らしてきた。東北の中では一番栄えている、仙台市で育って、大学入学を機に上京した。

友人の殆どは地元に残るか、浪人する選択をした。特に女子は、地元に残るという選択をした人ばかりだった。仙台は大抵のものが揃っている。東北初進出の店は仙台に出店するし、アンパンミュージアムもあるし、新幹線に乗れば東京に2時間かからずに着ける。

そして、大学だってたくさんある。医療系なら東北医科薬科大学があるし、成績がいいなら東北大学に行けばいい。女子大だって沢山あって、私立大も偏差値はそこそこだろうけれど、ある。


じゃあ、なぜ、私が東京に出たのかと言えば、プライドと憧れに他ならない。中学の時、いじりという名のいじめを受けていた。そいつらと、同じように地元の大学を出て地元で働きたくなかった。同じになりたくなかった。東京の大学を出て、東京で働いている人間になりたかったのだ。

妙な憧れもあった。父も母も、「都会は楽しい。東京とか大阪は、一回住んでみるといい」と小さいころから暗示のように言っていた。多分これで「地元がいい。地元にいるのが一番いい」と言われていたならば、私は迷いなく、地元の女子大に進学していただろう。

あいつらと一緒は嫌だ、というプライドと、東京は楽しいところだ、という憧れ。そのふたつで、私は東京の大学に行くことを決めていた。

高校一年生の時から、東北の高校は調べていなかった。行きたくない。絶対に東北の大学には行かないで、東京か大阪か名古屋の大学に行くんだと、呪いのように言い聞かせながらネットで偏差値ランキングを上から順番に見ていた。


ふとした時に、スカイツリーが見えて、なんだか泣きそうになる。あぁ、出てこれたんだと実感して、少しだけ、目が潤む。私は渋谷にも新宿にも、原宿にも、六本木にも、スイカをかざして電車に乗れば、すぐに行ける。その日に行って、帰ってこられる。

なにに憧れていたのかはわからない。「東京」に漠然と、でもずっと憧れていた。私はそこになじめるはずだと信じて疑わなかった。

新海誠作品の東京の描写がたまらなく、好きだ。「東京やぁ」と呟く三葉とざわめく人と、高いビル。すれ違う電車と、またも大量のビル。うるさい宣伝のトラックに、大型の液晶ビジョン。たくさんの人、人、人。全部、東京に住み始めてから実感できた。目の前に、それがあった。それがたまらなくうれしかった。

東京になにがあるのか、と聞かれたら、なにもない。と今のところは結論付ける。

なにもないけど、なんでもあるのだ。

渋谷に行って、それを実感した。


銀だこなんて日本全国どこにもであるし、お洋服もネットで買える。大きなタワレコに行かなくても、CDは買える。表参道じゃなくても、パスタは美味しい。コスメなんて、ロフトにでも行けば手に入る。

でも、そうじゃない。人がいて、ビルがあんなに立っていて、全部が密集していて。それだけだけど、でもその、それだけのためにずっと、ずっと頑張ってきたのだ。


東京でこれからもずっと、暮らしていくのかはわからない。父も、父の友人も「東京は子育てする場所じゃない」と言っていた。子供ができたら、どこか地方にいくのだろうか。そもそも、就職をここでするのだろうか。

まったくわからないけれど、場所によってはスカイツリーも見えるし、少し歩くだけでなんでも手に入るから、あんまり気にならない。結局、東京で暮らすメリットはそれなのかもしれない。


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