【ショートショート】 一つのみかん
ある日の昼下がり、学校から帰る途中に見知らぬおじいさんと出会った。
出会ったというか…見かけたというか…、僕が彼を見たとき、彼は地べたに膝をついていた。どうやら転んだらしく、足元には持っていたのであろう買い物袋が口を広げて落ちていて、中身が散らばっている。そんな彼を大人たちは横目で一瞥して、いかにも「自分は今とても急いでいて助けられないんです。」という顔で通り過ぎて行った。何なら彼の存在に気がついていないかのように、目を向けることすらせず横をすたすた歩く人もいた。ショックだったし、とても驚いた。何とも言えない異様な光景だった。
おじいさんはそのままそこに座り込み、膝をはたきだした。少し遠巻きにそこまで見ていた僕は、どうにも居た堪れなくなって思わず歩み寄った。
「…大丈夫ですか?」
人見知りをする僕は、口から心臓が出るような感覚にクラクラしながら、そう声をかけた。さっき居た堪れなくなって声をかけた、と言ったけれど、実際のところは声をかける勇気を出すために時間がかかっていたという方が正しいかもしれない。何はともあれ、僕は足元に転がっているみかんを拾いながら、まだ座ったままのおじいさんを見た。
「…ああ、…はい。」
痛そうに膝を擦りながら、彼は頷く。見たところ、大きな怪我をしている様子もなくて少し安心した。それを確認してから、黙って落とし物を拾い集め、恐縮する彼に立ち上がるための手を貸して、一緒に道の横へ移動した。
「これで全部だと思います。」
まとめ直した買い物袋を渡す。彼はそれを「ありがとう。」とホッとしたような笑顔を浮かべながら受け取り、静かに言葉を続けた。
「情けは人の為ならず、という言葉を知っていますか。」
「え?」
不意のことで、思わず聞き返す。彼はゆっくりした口調で、僕の目を見ながらもう一度言う。
「情けは人の為ならず、です。」
「あ…はい。聞いたことはあります。」
「その言葉を、あなたに捧げます。」
「はあ…。」状況を理解しきれなくて、思わず間の抜けた返事をする。言葉を捧げるとは…?
困惑する僕を尻目に、彼は丁寧に礼を述べ、せめてもの気持ちと言ってみかんを一つ、僕に手渡して去っていった。
情けは人の為ならず。改めて知っているかと問われると意味が曖昧だなと思ったので、その場で携帯を取り出して調べてみた。
なるほど、わかったようなわからないような…。携帯の画面を眺めながら、おじいさんの言わんとしたことに頭を捻っていると、後ろから突然名前を呼ばれた。
振り返ると、同じクラスのあの子がいた。僕の人見知りをぶち壊す勢いでいつも話しかけてくれる、少しだけ、本当にほんの少しだけ気になっている子。
掃除当番だった彼女と帰るタイミングが合うとは思わなかった。
「今帰るとこ?私もなの、一緒に帰ろうよ!」
屈託のない笑顔を向けられ、手に持ったままのみかんをもてあそぶ。何でみかん?と不思議そうに問われ、会話のきっかけを掴んだ僕は口を開いた。
「情けは人の為ならずって言葉、知ってる?」
(1338文字)
=自分用メモ=
私のモットーである言葉を、話しに絡めてみたくなったので書いた。大したことじゃなくても、いつか自分のした善行は必ず、何かしらの形で世を巡り、自分に返ってくると私は信じている!「僕」にとって、帰るタイミングが本来とはズレたおかげで起きたこのラッキーは、きっと大きな「よい報い」だったに違いない。
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