3/6 市川真人「拝復 笙野頼子様」(学科も、執行部も)

目次

0 はじめに
1 拝復 笙野頼子様 このたびは
2 一方、「教えるべきことは教える」という
3 学科も、執行部も
4 整理すると、以下のようになります
5 ここまでが、「妨害」があったかどうかについての
6 ずいぶん長くなってしまいました

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 学科も、執行部も、学生からあらたに「隠蔽だ」「ハラスメントだ」と疑われたり言われたりすることを、極端に恐れていました(いまも恐れています)。それも当然でしょう、何人かの教員が、事実であっても事実でないことであっても、あれこれとつるし上げられるのを、みな目の当たりにしている。下手な誤解を受けると、次は自分(たち)がそうなるかもしれない……ぼくにはその恐怖がひとごとでなくわかりますから、彼らの誰もがそう思ったとして、責めることはできません。しかし、そうするともはや「指導」自体が難しくなる
 本来ならその「指導」は、状況が困難であるほど、ぼくたち専任教員の仕事です。だから当初はK先生はそこにもかかわらないはずだった。けれども、自主企画の責任を持つH主任は出版実務や権利にかんしての知識が十分ではなくアンケートに使うGoogleフォームも知らないことをご自身でも認めて、他の教員たちの助けを求めていました。そのため、K先生に一般論としてでもリスクについても話しておいてほしい、という希望も学科の会議ではありました。「できるでしょう」と丸投げする言葉も複数、ありました。

 「自主企画」の扱いが学科会議で固まるまでの過程で、調査報告などの情報開示もないまま「企画内容がなんであれ非常勤であれ、担当教員の責任ではないですか」と無理な責任を押しつけられそうになったK先生は、事実関係を知らないでその企画をすることがどれだけ怖いか身を以て知っていました。
 だからこそ、学生たちにそのリスクを教え、危険から守りたいと考えたといいます。彼らが自分たちの企画を安全に達成するために、彼ら自身が訴訟の対象とならないために、事件そのものへのあるいはジャーナリズムや出版のイロハに無知ゆえにひとを傷つけてしまうことから彼ら自身を守るために、最低限の武器を与えようとした
 そのためにたくさんの過去の事例を調べ、記名か仮名かがギリギリの線になったケースも含め、さまざまな検討をしたコピーの束をぼくも見ています。けれど、それが結果として「妨害」と受け取られてしまった……ぼくはそのことをあまりに理不尽に、そして学科の専任教員の一員として申し訳なく感じます

 ここまでが、笙野さんご指摘の、⑧「K先生「名誉棄損訴訟が起こるといけないので個人名が書けない場合があると言っておけば」」に至る流れです(だいたい、そこを読んでも、なにが「妨害」なのかは定かではないですが……)。

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 ⑨「市川君のセリフ「表現の制約を学んでほしい」」についても、お話しします。ぼくが11月17日の授業で、あるいはシラバスで「制約」と呼んだものの話です。
 たしかに、本を作るうえでときに立ちはだかる「制約」には、笙野さんの言われたような広告主や出版元の政治的圧力も含まれます。ぼくもそのことは嫌いです。
 しかし、学生たちはもっともっと初心者ですから、授業ではまず、企画を立てても書き手に断られたとき、お金やページが足りないとき、期待と違う原稿が届いたとき、時間がなくなってしまったとき等々、進行過程でぶつかる形而下的な困難をどう乗り越えるか、という話をしました。そのうえで、某大手出版社で原稿を書いた際に、校正のスタンプに「皇室」というチェック項目があって驚いたことも話して、政治的圧力のことも話しています

 ぼくは学生たちには、それらを踏まえて、まさに笙野さんの言われるとおり、表現だけではなく様々な制約を越えたものを書き、作る練習として、「与えられた課題や素材を、どう自分たちのやりたいテーマに結びつけられるか」を考えてほしかった。子どもがブロックの基本パーツにいろいろなものを付け加えて、ロボットでも花でも動物でも作るように、目の前にある素材にどんなパーツを付け加えれば(付け加えるパーツは自由)どう政治的な枠組みを作れるか、どうスポーツの特集に装いを変えられるか、そして、どうハラスメントの特集を組み立てるか……
 それこそ、「おおおお〔…〕それ話が逆だろう「マスコミに旅立つ早稲田の君達よ、さあ、表現の制約を広告主を越えよう、その方法を学べ」これが正解だ」と笙野さんがおっしゃるとおりです

 それをどう教えるかにも、様々な方法がありえます。今年の場合は、スケジュール調整が求められたこともあり、企画を二段階で進める教え方が有効と判断されました。いったん予算やキャストの限界を広げたシミュレーションを行い、そこから「蒼生」の現実に向けて設計を落としこんでゆく--そんな方法をK先生は選びました。
 こういう方法は、雑誌に限らず建築物でもなんでも、ものを作る実践ではしばしば行われます。最初から予算やイメージを現実にあわせすぎると、限界ギリギリの発想や限界を超える奇蹟は出てこずに、逆に小さくまとまったものができてしまう。だからまずは、諸条件のうちいくつかをあえて忘れ、可能な限り想像力をたくましくして(ある意味、誇大妄想のようなプランを立てて)、その大風呂敷をどう「なるべく大きく畳むか」ということを考える。
 実際、今回は「既存のどんな媒体に掲載されるか」を各班が自由に設定し、使える予算も現実の数倍で想定する一方で、広告記事が含まれることを条件とするなど、「模擬特集」のかたちで「蒼生」の枠を越えてシミュレーションをした結果、著名人同士の対談やインタビューなど、華やかさやアイデアを優先した企画案が並んだそうです。いったん作ったそれを、こんどは自分たちの現実的な「特集企画」として、具体化可能な範囲と条件に落としこんでゆく……それまた「雑誌を作る」ことで得られる、雑誌づくり以外にも流用できる経験にほかなりません。そして、一見遠回りなそれが、結果としてよい特集に結びつく実例も、ぼくたちはたくさん知っています(最初からぴったりで作ろうとした企画が、あれこれと失敗や不運を重ねてスカスカになったりこぢんまりとした例も。もちろんその逆もありますから、何が正解というのはないのですが)。

 11月24日、実現可能性も加味してプレゼンが行われた学生たちの「特集コンペ」には、たったひとつの、模擬の素材でしかなかった宮崎駿インタビュー映像を入口に、次のような企画案が並んだそうです。
「平成最後に言いたいこと(各業界のアーティストへのインタビューを軸に構成)」「イマの歩み方を考えるとき(遊歩的に東京の街並の過去と現在を紹介)」「宮崎駿VS次世代クリエイター(大御所と新世代の各種映像クリエイターとその現場をインタビューと取材で紹介)」「映像を“つくる”を、聴く(各著名人に若手クリエイターあての推薦状を書いてもらい、インタビューを申し込む)」「アニメの原作(アニメーション制作現場を描いた作品を軸に、原作との関係を考察)」……この、入口がなんであっても、自由な出口に向けて誠実かつキャッチーに拡張してゆくことが、「雑誌」づくりの基本であり醍醐味であり、ぼく(たち)の教えたかったことにほかなりません

 そうして、履修学生全員での投票の結果、過半数の支持を得た企画が、今回の「蒼生2019」の特集部分「あなたとして生きる」です。コンセプトとプレゼンテーションに高い説得力があったと聞いています。
 けれど、それ以外の企画も実現すればどれも魅力的なものになったと思いますし、他のチームメンバーはそれぞれ「あなたとして生きる」特集の各記事に合流しましたから、それぞれのアイディアや手法は特集の中に生かすようにも指導し、実現もしています。それが、「純」と「雑」の混在したおもしろい雑誌を作る、ということでした

 他方、続く12月1日に行われた「自主企画」のコンペでは結果的に、A氏たち3名と、別の学生1名がそれぞれ提案した、二つの企画がエントリーしました(逆に言えば、自主企画をやりたい学生たちはその2チームだけでした)。A氏たちのグループは企画者3名がそのまま参加者となり、もうひとつのグループにはプレゼンを聞いて6人の学生が参加を希望したと聞いています。
 当初、学科の会議では、自主企画は「前年の授業に倣って、5人以上の参加で成立とする」と決定していました
。ぼくとK先生は経験上、3人でも記事は作れるし作業はできる。はたして5人という基準は適切なのか、不足したときA氏たちが納得するのか、という議論をしていました。そこにちょうどH主任から「3人以上でどうか」と条件緩和の提案が届いたので、賛成の返事をしています(企画をやらせたくないと思っていたら、賛成などするはずがありません)。結果的に、ぶじに両方の自主企画が成立しました

 そこから彼らは企画内容を考え、依頼文を書き(自主企画に限らず、外部に送る依頼文は原則K先生かぼくが確認をして、拙いところや相手に失礼なところなどは、手直しを提案しています)、毎週の授業で他のグループと同様に進捗を報告していました。彼ら3人も、授業内で進む特集の各グループにも所属しています。授業には、デザイナーのO先生も加わり、ぼくもなるべく顔を出して、それぞれの班の進捗にあわせて具体的な指導を進めました。自主企画の学生たちにも、そこで学んだことを役立ててもらえれば、授業の成果がわかりやすく出る--そうやってそれぞれの企画は進んでゆきました。
 12月27日にはH主任とK先生による面談指導があり(学生と入れ違いでH主任の研究室を相談に訪れていたぼくも、冒頭の企画要旨だけ聞かせてもらいました)、その後1月6日をメドに依頼状が書かれることとなって(実際に出てきたのはぼくが知っている限りでは1月11日だったと思います)、笙野さんのところに届いたお手紙ができあがったはずです。

 ですから、笙野さんの書かれた⑦の「結論、この「蒼生」の本当の特集とは何だったのでしょう」という問いの答えは、ひとつではありません。それが授業の成果物である以上、(学生たちが、6つのコンペから選んで)本特集として載っているものがそのまま第一の「本当の特集」です
 しかし同時に、ふたつの自主企画もまた「本当の特集」だと思います(「特集」がひとつの雑誌に三つもあるべきか否かは、一般論としてよく議論になりますが、学生が作ったものである以上、それでいい)。作品が3篇集ったのも、作品班の成果です。表紙やデザインも、巻末のカラーページも、いずれもが参加した学生たちの「本当の作品」であり「本当の成果」です。このことは、今年度の科目を設計し「蒼生」と授業との関係を考えたコーディネイターとして、参加したすべての教え子たちのために、絶対に譲れません。
 それぞれの企画のボリュームのバランスも、自然な成り行きの結果です。大長編が応募されれば作品のページはもっと増えたでしょうし、自主企画コンペでクラスの大半が参加するような企画があれば、授業で作る特集を越えてその企画が雑誌全体を支えていったかもしれません。
 授業は授業で粛々と、企画から完成までの流れを示しつつ行われました。途中でできなくなったこと、思い通りにならなかったこともありつつ、それを乗り越えて特集「あなたとして考える」は完成しました。他方で、学生が「やりたい企画」をやる余地も、当初から別枠で用意され、きちんと使われた。それだけのことですし、それがほんとうによかったと思っています。

つづく