1/6 市川真人「拝復 笙野頼子様」(拝復 笙野頼子様 このたびは)
目次
0 はじめに
1 拝復 笙野頼子様 このたびは
2 一方、「教えるべきことは教える」という
3 学科も、執行部も
4 整理すると、以下のようになります
5 ここまでが、「妨害」があったかどうかについての
6 ずいぶん長くなってしまいました
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拝復 笙野頼子様
このたびは、学生たちの「蒼生」へのご寄稿、お忙しいなかありがとうございます。楽しく、というとさすがに嘘になりますが、ぼく宛てのお手紙のように拝読しました。それゆえ、手紙のようにお返事します。
まず、「この特集の私の原稿をボツにしたら君は、この生涯で私に三度、言論統制をかけたことになるね?」という問いかけについて、大前提を。
先の「二度」もそうではありませんが、とりわけ「蒼生」にかんしては、笙野さんの原稿に限らずどの原稿も、ぼくにはボツにする権限もなければ、そんな意思を持ったこともありません。
「文学とハラスメント」企画をめぐる検討と議論は、学科の会議で何度も行われてきました。笙野さんの原稿が到着した日の会議にも議案にあり、ぼくは「掲載しないことはありえない」と主張しています。笙野さんが書いていらした「文学は自由に書け、例えそれが政治的テーマであっても、その媒体のオーナーの批判であっても」――ぼくもまったくそう思います。ただし「文学だから」ではなく、「言説」のあるべき姿として。
それからもうひとつ、これもとても大事なことですが、渡部直己氏によるハラスメント案件については、ぼくも、きわめて強い失望と憤りを持っています。ぼくは今日までその件について公には何も言いませんでしたが、特定のネット記事が疑ったような「口止め」や「授業中のセクハラの容認発言」などは、一切するはずがありませんし、していません。教え子でもあった被害学生の心配も変わらずしています。
教員は、学生に与える構造的な影響力を自覚し、そのことを前提にできるかぎり公正に振る舞わないといけない――渡部氏はじめ他の教員の振る舞いにまでは責任は負えませんが、ぼく個人は、つねづね学生にそう言い、そうあろうとしてきました。この話は別稿にまわしますが、そのような前提のもと、以下のお返事をいたします。
笙野さんの原稿では「渡部直己教授のセクハラ告発をするべきだと」考えた学生数名が、ぼくと非常勤教員K先生から「ありとあらゆる妨害を受けた」と書かれています。
けれどもそれは事実ではありません。
「学生が受けた(と感じた)妨害」の主なものを引用すれば、以下のようになります。
①「本来はしたい企画を自分達で立て、先生方の許可は貰うけれど、オリジナルを工夫した本特集を例年、実行するのです。それが卒業制作になったはずなのです。なのに今回は本特集が、模擬特集に差し替えられました」、
②「宮崎インタヴューを起こすという作業にしても、けして僕達がしたいと言ったものではない。この選択もその上の作業も、何もかも先生方の命令にすぎないのです」
③「模擬特集と称して、ただもう君達の告発に使うページを減らすために? 〔…〕「かも、しれません、……判らないけれど、ともかくこの模擬が四〇ページ、告発に使える枚数はせいぜい一〇ページです〔…〕」」
④「彼らは大学の中で孤立するしかなかった。しかもクラスの外からは一切分からない形で、最初の提案をガン無視され、その後はあり得ないほどに期間を詰められ、形式を邪魔され、他の用を押しつけられ、ハンコづくめで監視されて……」
⑤「彼らが受けた妨害、言われた暴言。命ぜられた不毛な作業、不審に感じる休講」
⑥「授業初回、学生が自己紹介に文壇のハラスメントを「蒼生」で特集したいと書く、次週、無視される。宮崎インタヴューの模擬特集が一方的に通達され、以後打ち合わせ、プレゼン、学生の創意工夫なし、改善なしのままに、教員による講評〔…〕だらだらだらだらのらりくらりずーっとずーっと「させない」という形の邪魔が続きます」
⑦「結論、みなさんこの「蒼生」の本当の特集とは何だったのでしょう」
なるほど、これは酷い。笙野さんも学生たちも怒っていい……もしそれらが事実どおりなら。しかし。
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第一の前提は、「蒼生」の編集作業は2018年度現在、「編集実践2」という「授業」として行われているということです。
1969年に創刊された学科機関誌「蒼生」の「本来」は、授業とは関係なく、有志の学生たちが作るものでした。主には創作を載せて合評を行い、90年代からはインタヴュー記事などを加えて(それを始めたのは、学生だったぼく自身です)、制作する学生がいない年には休刊も挟みつつ、ときに教員の手を借りながら自律的に作られてきた。
他方、「編集実践2」という科目は、2008年度に設置されました。当初はまさに「模擬書籍」や「模擬雑誌」を作る授業でしたが、DTPが普及して自由にミニコミを作れる学生たちが学科の機関誌作りに無関心になった等の理由で、2012年から「編集実践2」の授業内で「蒼生」を作る方針となったそうです(当時学外者だったぼくは科目編成に関わっていません)。
ところが、その方針は複数の問題を生みました。
素人の学生40人を相手に、90分×15回の授業で、雑誌づくりのイロハを教えて実際の制作まで行うことは、事実上不可能です。結果的に、非常勤の教員と特定の履修者1~2名に理不尽なほど負担が集中しました。春休みにも彼らは登校し、他の学生ができない(しない)作業をさせられる。その大半は、「技術がある」という理由で「早稲田文学」の学生スタッフやぼくのゼミの学生でした。
それでも、出版社勤務の経験者が授業を担当した当初の「蒼生」は、テーマのあるいくつかの「部」が組み合わさって流れを作るなど、雑誌としての「構成」を携えていました。けれども年を重ね、担当者が変わるうち、それは次第に失われ、全体の目次や構成に意図を持つ「雑誌」ではなく、十数個の「記事」を並べて綴じた、構成のない「冊子」になってしまった。サークルが作ったフリーペーパーや雑誌と変わらないどころか、そちらの方がよほどまとまりや設計がある……。
それぞれの記事がおもしろいかどうかとは別に(去年の「蒼生」にも一昨年以前のそれにも、面白い記事は多々あります)、授業料をとって学科の予算を使った「授業」として「雑誌の作り方」を教えるならば、2017年度までのやり方では責任が果たせていません。担当した各教員の責任ではなく、「授業で『蒼生』を作る」という判断をした学科が、とるべき責任です。
そう考えたぼくは、2017年秋の科目編成の会議で「雑誌を作る、とはどういうことか」をちゃんと教えることを提言し、科目内容の変更を主張しました。「バラバラの企画を集めた〝冊子〟作りをサポートをする時間」になってしまった現状を改め、「雑誌作り」にはどんな思考や試行錯誤が必要で、それがどのような行為であるか--そのことが学期を通して見えてくる「授業」に組み換えるべきだということです。
「特集」という枠組みの作り方や、記事間の連動をきちんと教える。2014年を最後に掲載がなかった「学生の創作」も、きちんと載せる――そういうトータルの「雑誌作り」を学んでもらうため、ぼくがコーディネイターに就任し、以下のようなシラバス(授業計画)を書きました。
「『雑誌』は、さまざまな作り手や書き手が混在する「雑」と、同時に、ページ数やスタイルといった「紙」ならではの制約が存在する「純」とが共存する、特殊な形態である〔…〕その絶妙なバランスと可能性、さらにはそれを完成に導いてゆく行程の思考は、21世紀、〔…〕(「雑誌」という形式が与える制約が見失われた先では)さらに重要になってきます。まさにそこに、「編集」という行為そのものが存在するといえます。/本演習では、「雑」と「純」を共存させる企画や誌面の構想、さらにはコンテンツそのものの発想や収集を通じて、そのような「雑」と「純」を経験的に学んでゆきます」
笙野さんへの依頼で彼らは「学生の手で一冊の雑誌を完成させるという点にこそ、この授業の意義があります」と書いていたと思います。しかし、「授業の意義」とはなにか。
「授業を受ける意義」は、履修学生各自が個々に感じるものです。無意味と唾棄することも含め、どう感じることも自由です。しかし「授業の意義」は、「授業」が複数の学生の参加を前提とした「カリキュラム(一定の教育目的を持ち、内容を組み立て計画したもの)」の一部である以上、科目を設計する大学または教員側が提示するべきものとぼくは考えます。「授業を受ける意義」と「授業の意義」は、言葉は似ているけれど、違うものです。
同様に、笙野さんの原稿には「本来はしたい企画を自分達で立て、先生方の許可は貰うけれど、オリジナルを工夫した本特集を例年、実行するのです。それが卒業制作になったはずなのです」と、依頼した学生のひとりAさん(笙野さんの文章では別の呼び名になっていますが、当事者の頭文字や性別等についての先入観を避けるため、ここではこの仮名をとります)が語ったとあります。
たしかにそれは、かつての「蒼生」の「本来」であったと思います。しかし、授業の「本来」は、それとはまた違う。笙野さんの原稿では、雑誌としての「蒼生」の歴史的意義と授業としての「編集実践2」の意義が、混同されて書かれています(あとで書きますが、「蒼生」としての「本来」も、今年は別途用意されています)。
ちなみに「編集実践2」の履修対象は2~4年生であり、「卒業制作」だというのも事実誤認です。もちろん、A氏が「心の中の卒業制作」と捉えることは自由だし、教師としてはうれしいことですが、他の学生たちにもそれぞれの思い入れがあるでしょうし、思い入れない自由もあります。
結局のところ、笙野さんがお書きになったことの多くは、「「授業」の内容が自分たちの期待したものと違った」という話であり、それらを「妨害」だとおっしゃることは、大きな誤解です。
ただし、そうした誤解を与えた原因の少なからずは、学科とぼく自身にもある。
原因のひとつは、「サークル誌や同人誌でもできる冊子づくり」を、単位を与えつつ作らせる科目編成が、数年間とはいえ行われてきたことです。その結果「この授業をとれば、大学のお金で雑誌が自由に作れる」と、当時の学生にも勘違いさせたかもしれない。また、それ以後の学生にも、本来なら教育目的で毎年計画が検討され変化する「授業」を、「自由に作れる」ことを自明の前提とするサークル活動的なものと勘違いさせてしまった。
もうひとつは、シラバス作成時の事故です。早稲田のシラバスはWEB入力で、必要に応じて前年度の内容を複写し、改稿したり新内容を貼り付けるのですが、「編集実践2」のシラバスを作成した際、全体は今年度の内容に更新されたのに、各回予定の欄だけ、担当する教員の名前も内容も、前年の情報が残ってしまいました。
その結果、「授業概要」よりも「各回予定」を熱心に読んだ学生は、前年までと同様に「バラバラな企画で「蒼生」を作れるもの」と感じてしまったかもしれない(「文学とハラスメント」班の代表が編集後記で主張しているのも、そのことだと思います)。そのことだけが誤解の原因であるなら、お詫びします。
なお、1回目の予定は昨年度も今年度はほぼ同じで、「講義の目的と概要について説明」でした。今年の授業では「雑誌を作る」行為の本質を教える旨を、ぼくがコーディネイターとして説明してはいます。しかし、Aさんたちにはそれでは十分には伝わらなかったのでしょう。その結果の誤解なら、Aさんたちに申し訳なく思います。
ただ、各回予定の欄には、今年科目を担当していない教員の名前が出てくることでも明らかなとおり、それはあくまで作業上で生じた事故であり、授業は昨年来立てた大方針のもと(もちろん、途中、遅滞や順序の入れ換えはどんな科目でもありますが)進んでいます。シラバス執筆者と学科の二重の校正をくぐり抜けてそうした事故が生じていたと発覚したのも、12月になってからのことでした(学科にも執行部にも、発見した時点でお詫びとともに報告しています)。
だから、少なくともそこに「妨害」のような作為は入り込んでいません。そのことは、Aさんたちにも、笙野さんにもわかってほしかった。そうしたら、「自主企画」という枠がある種の解放区として設計されていることを、わかってもらえたかもしれません。わかってほしかった……。
①②④⑤⑥については、以上です。「僕達がしたいと言ったものではない〔…〕何もかも先生方の命令にすぎないのです」も、「模擬特集が一方的に通達され」も、授業内容である以上当たり前のことで、「告発に使うページを減らすため」ではない。Aさんにそのように感じられたり、「他の用を押しつけられ」や「命ぜられた不毛な作業」と感じられたのは、「授業の意義」の在り処をめぐる考え方の相違と、過去の形式が踏襲されるはずという認識、それを後押ししたシラバス制作作業上の事故……その3点に拠るものだと思います。
(つづく)