6/6 市川真人「拝復 笙野頼子様」(ずいぶん長くなってしまいました)

目次

0 はじめに
1 拝復 笙野頼子様 このたびは
2 一方、「教えるべきことは教える」という
3 学科も、執行部も
4 整理すると、以下のようになります
5 ここまでが、「妨害」があったかどうかについての
6 ずいぶん長くなってしまいました

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 ずいぶん長くなってしまいました。こうやって書いていても、「誰が悪い」という単純な話ではないように思います
 そもそも「授業」とは何であるかにボタンの掛け違いがあるとはいえ、A氏が「抑圧されている/妨害されている」と信じて苦しんだのは、それはそれで事実なのでしょう。そのことには、ぼくも心苦しく感じます。
 学科やその所属教員の多くの対応も、学部の「ことなかれ主義」的な振る舞いも、思い出しても悲しくなりますが、ネットメディアが悪意を持ってこちらを窺っていたり、よく知らないままに気分で誹謗中傷を書き込む人々がいることを想像すれば、「とにかく騒がずにじっとしているが吉」という判断も官僚主義的には理解できなくもないかもしれない。

 しかし、それぞれが自分の身のことだけ、自分の都合だけを考えているときに、その隙間に、エアポケットのように落ち込む「被害者」が出ます

 大学やその教員たちが、A氏はじめ渡部ゼミの学生たちのさまざまな感情の負荷(渡部直己氏から裏切られたと感じたことや、学部や学科が十分な情報を与えられなかったこと、後期に始まった授業でぼくが彼らの疑念に応える機会を持てなかったこと、等々)を、一定以上の期間にわたって放置したことが遠因となって、今回のすれ違いと勘違いが生まれたように、ぼくには見えています。
 その結果、ここまでの流れで可視化された「被害」とは、昨年夏からのA氏たち元渡部ゼミ生たちの置かれた状況に加え、懸命に作った特集や授業を受けた成果を読んですらもらえぬままに「本当の特集はなんだったのか」とあたかも本当でないように言われた「編集実践2」の他の履修者たちの理不尽さでもあり、学生をリスクから守ろうと誰よりも懸命に動いた結果、誤解されたうえ伝聞だけでK先生が実名誹謗されたことでもあります(ぼくも、自分がなぜこうも酷い誤解を受けるのか、と去年からずっと苦しんでいますが)。さらには、彼女たちをそのように扱った笙野さんのテキストも、捉えようによっては、さまざまな人間の思惑や弱さに巻き込まれ、「利用された」被害者でもあるのかもしれない
 笙野さんがぼくに感じてくれ、期待してくれた「公平」を旨とするためには、そうした「被害」のことも名指し、それを受けたひとたちのことも考えたい、考えなければとぼくは考えます。それは単に、今回の出来事にとどまらず、似た構造のことがいま、あるいは今後の世界に無数に起きるであろうからです。

 もちろんそれは、笙野さんが附記で少しだけ触れていらした、渡部直己氏の行為と、そのことで生じたひとたちの傷についても、同じです。そのことについて書くのは、とても難しい。けれども遠くない時期に、試みたいと思っています(ずっと試みては頓挫しているけれど、今度こそはと)。

 最後に、笙野さんにはひとつだけお礼を申し上げます。今回「蒼生」に寄稿いただいたテキストは、学生からの伝え聞きで書かれた部分はもとより「早稲田文学」にかんすることなども「双方に全く異なる見解、争い」が避けられないものですし、「編集実践2」の履修者たちを軽んじるものでもあります。しかしそれでも、渡部直己氏の発言や行為に端を発する一連の騒動にかんしては、事実を軽視した安易な踏み込みで当事者や関係者たちに「悪い影響」を与えるようなことを書かれることはなかった。その主題に限っては、書き手としての倫理を十分に意識されたものであり、被害当事者や関係者に無責任な態度でもなければ、ぼくたちが危惧した編集学生たちへのリスクを与えないものだったと、学科の教員のひとりとして、また「蒼生」にかかわる人間として安堵しています。
 それと、あの日のことをよく覚えていてくださったことも、個人的にうれしかった。花粉症で鼻水をすすったり紙ナプキンで拭いていたぼくに、ポケットティッシュをぶっきらぼうに突き出して「これあげるからトイレでかんできなさいよ」と姉のように言ってくれた笙野さんの姿も、その日のやりとりも、ぼくもいまでもよく覚えています。柄谷さんについて、大塚さんについて、けっして評価や意見が合うわけではなかったし、いまでもたぶんあわないけれど、笙野さんは少なくともぼくに対しては、つきあいは遠くても、原稿で触れられた戦争法案アンケートのときも含めて、ずっと親身でいてくれたのだと思っています。

 そんな笙野さんに「恩を仇で返すの?」と思われるかもしれませんが、後日、ご自宅に郵便が一通、届くと思います。
 ぼくひとりのことならば、笙野さんへの敬慕とともに黙って耐えたかもしれません(それはそれで、違う差別や抑圧の問題系にもつながるのですが、その話はまたいずれ。でもとにかく、笙野さんの原稿が届いた会議の日から今日までのひとつきは、ほんとうに苦しかった。食事が喉を通らず眠るのも難しく、体重もずいぶん減りました。そのぶん血液検査ではコレステロール値が下がったけれど)。
 しかし、「蒼生」の本編や作品パート、デザインを懸命に作っている学生たちがいて、それ以外にも大学や学部学科にたくさんの学生や卒業生、そのご家族もいる以上、「この二〇一九年の蒼生」について、あたかも歪められた圧力があり、「文学とハラスメント」以外の特集は本当のものではないかのように書かれていることは、かかわったすべての学生たちの名誉のために、そしてぼくの大事な教え子たちのために、異議申し立てをしないわけにはいかないと考えています。
 K先生があれほど懸命に指導しようとした「リスク」について、安直かつ慎重でなく、ただ自分(たち)の感情にのみ基づいて進むことで他人を傷つけ巻き込んでゆく、そのことの危うさを、学生たちに、実地をもって示すことに、すみませんがつきあってやってください。

 ぼくたち自身も含めてだけれど、なにかを思い込んでそのことで他人を躊躇なく傷つけることは、ほんとうに怖いことです。自分が正義だと信じ込んだり、相手が悪だと決めつけたりすることは容易だけれど、もしそれが誤解や思い込みだったら、ときにそのことは取り返しがつかなくなります。K先生が「もう、経緯のすべてを書き残して、死んで抗議するしかないと思った」と泣いたと知人から教えられたとき、ぼくは、この半年自分についてずっと考え耐えていたのと同じことを他の人間にも感じさせてしまったと、とても悔やみました。そして、他にも同様に感じているかもしれないひとたちのことや、教え子たちのことに、あらためて思いをめぐらせました。

 人間が感情にもとづく生き物で、百人いれば百通りの評価や感想が生まれる以上、全員にとって納得できる「真実」や「解」はないかもしれない。それでも、それを求める努力は行い続けられなければならないし、そのことが、それぞれの「感情」を救うのだと、ぼくは考えています
 今回の「蒼生」にかんしていえば、なぜそんな誤解あるいは行き違いが生じてしまい、それがなぜ落ち着くのではなく増幅し、笙野さんによってそのテキストが書かれ、それがなぜそのままになり、このようなかたちで載っているのか……その何割かはぼくも当事者として知っていますが、何割かはわからないことだらけです。懸命に「蒼生」を作っていたほかの学生たちにとっては、もっとそうでしょう。
 それらを黙って見過ごすことは、また、次の「自分の被害が放置されたと感じる教え子」を生み出すことにもなってしまう。たぶんそれは、渡部直己氏の出来事のあとに大学で起きたこととも(その後にA氏たちが感じただろうこととも)、構造がよく似ています。だったらなおのこと、その再生産をここで止めなければならないし、止めたいと思っています(そして、去年のその出来事について、なぜそんなことになったのか、その後の対処を大学やぼくたちはどうすればよかったのか、この9ヶ月ずっと考えてきたこととも、どこかでつながっているように思います)。

 その意味では、ほんとうは、2月8日の会議で原稿を読んですぐ笙野さんに会いに行き、こんなお話をしたかったのですが、それもまた「妨害」と言われてしまうだろうと、校了と刷り上がりを待ってのお手紙になりました。そのことを、お詫び申し上げます。もしよければ、郵便が届くころ、あのケンタッキーにうかがいます。



附記:笙野さんのテキストのうち、あきらかな事実誤認または歪曲と思われる箇所について、以下に追記しておきます(本来なら、これも「校正、校閲」で拾えただろうところですが、学科がそれを放棄したため、ここもトラブルの原因となる可能性があります)。

・「『(教室で、彼らが妨害を越えて、ついに、笙野インタビューをやりますと宣言するのは十二月八日、その後十二月二十七日に先生はこう提案)名誉棄損訴訟が起こるといけないので個人名が書けない場合があると言っておけば(出席学生三人が証人)。』」
 →K先生によれば「自分たちの特集による二次被害、三次被害を起こしたくないという意志を持っている」という学生たちの発言が、ここに引用された発言の前提にあるということです。事案への十分な情報が書き手にも編集者にも共有されておらず、著者の原稿が適法の範囲内か判断することが困難な状況下で、どのようにすれば二次被害や三次被害だけでなく書き手と作り手を守れるか……その困難な命題について「著者を守るためにも、特定の事案について具体的に言及することができない場合があるなど、あらかじめ著者と話し合っておくべきではないか」と提案した文脈での発言であるとのことでした。同席していなかったぼくは事実を確認できる立場にありませんが、「言っておけば」で不自然に終わるこの引用は、前後の文脈を切り離すことで、正確な印象を伝えきれていないように見えます。その場合、結果として発言者の信用を貶めてしまう危険があります。(※校閲のエンピツふうに書いてみました)。

・「表現の制約を学んでほしい」
 →これも同様です。ちなみに、A氏と一緒に「文学とハラスメント」企画を行っているB氏との、この授業直後の歩きながらの会話では、さきほどの話について明確に「ぼくは君達の企画を実現してほしいし、困難をちゃんと乗り越えるためにあちこちと交渉している」旨を真剣に伝えてもいます。そのことひとつとっても(彼は覚えていないか、聞いても信じなかったのでしょうが)妨害するために制約を口にしたという解釈は、ぼくにとっては明らかに誤解であり曲解です。他方、笙野さんにこの原稿を書いてもらい、ぼくに対する「言論統制」への警告を文中に入れてもらうアイディアが、「制約(と彼らが勘違いしたもの)を乗り越えるための発案」だったなら、それはそれで及第点かもしれません。ただし、こうして載ってしまうと、単に恫喝しているように見えるか、ゴネた結果載ったものであるように見えるのが難点な諸刃の剣ですが……

・「「早稲田文学」の戦争法案アンケートとその後の処理について」
 →本文と注に内容がまたがっていますので、両方についてお返事します。この件は「250字程度でと」のアンケートのお願いに対して、約7倍強である1800字のご回答をいただいたときのことと思います。
 正確には「安全保障関連法案とその採決についてのアンケート」ですが、校了直前に無理やり飛び込ませた企画だったため、普段の「早稲田文学」や今回の「蒼生」とは違い、使えるページ数に上限がありました。他方、笙野さんからいただいた1800字のご回答に対してぼくたちは、時間的にも「アンケート」という性格からも、短縮のための改稿を一方的にお願いするべきではないと考えた。そこで、誌面掲載の範囲を、いただいたご回答の冒頭なり中心部なり、笙野さんに自由に選んでいただいた750字程度の抜き出しとし(そうすることで、誌面を読んだ読者は、回答の全文を読みたくなるはずというアイディアでした。字数の基準は、お願いした目安字数を大幅に超過した回答が他にふたつあり、それらが750字程度だったことを踏まえての数字です)、全文は別途、ウェブ掲載とするご提案をしたときのことです。
 それに対して笙野さんからは、特定の箇所の抜き出しではなく、「削った原稿です。これならこのまま乗せられるよ」というお返事をいただきました。短い時間でそうしてくださったことに、感謝とともに受け取った記憶があります。圧縮・削除箇所は当然、笙野さんご自身が判断されていて、編集部では送られてきた原稿をそのまま掲載していますから、「言論統制」という表現は、まったく事実に即していません。
 そのうえで、笙野さんのおっしゃるとおり、紙媒体での750字版の掲載に加え、WEBで1800字版の全文掲載というお約束は存在しました。ただその際、笙野さんから「時間あれば推敲させてください、でも全文掲載で」というお返事をいただいたため、推敲後の原稿の到着があるものと、そのまま待ってしまいました。
 ある程度時間が経過したところで、こちらから確認の御連絡をお送りすればよかったのかもしれませんが、校了直後に、家族の病の事情でぼくが大学にも早稲田文学にも行けない期間が一ヶ月以上あったため、そのまま今に至ってしまいました。その点を申し訳なく、お詫び申し上げます。
 いまからでも、推敲後の原稿をいただければ、(校正校閲や、内容についての検討は、公正にさせていただきますが)早稲田文学編集室の同特集サイトから読めるようにしますが、弥縫したように見えてもいけませんので、2月8日に原稿を読んだうえで今日までは、そのままの状態となっています。
ただし、原稿でご指摘のあった「パーティーでものすごい態度」(笙野さんからいただいたアンケートの1800字版を読み返せば、文芸誌批判の最中の自分と文学賞のパーティーで会った際に市川が「女官長のように」腰をかがめて、笑顔を浮かべて通り過ぎて行った、という記述のことでしょうか)とは、当時も申し上げたかもしれませんが、トイレに行きたいか電話がきたかで急いでいて、それでも笙野さんを見かけてうれしく会釈したのだと思います。それがうまく伝わらなくて「ものすごい態度」に映ってしまったなら、残念きわまりない……ぼくは文壇の選考委員が偉いとも、そこでの人間関係が作品より重要ともいっさい思っていないので(笙野頼子という読み手が選考委員でなくなったこと自体には、野間新人賞のときもふくめ、残念に思っていましたが)、そのことはご理解いただけたらと思います。あと、アンケートのこのくだりは(未公表のものなので、勝手に部分的に引用するのはよくないと削りましたが)、ぼくはユーモラスで好きでした。よければ引用させてください。

・「あの元ロリコン業者」
 →ここは、笙野さんと長年意見の合わないところですが、少なくとも、職業差別ではないかと思います。ぼくが校正校閲に携われていたら、ここも、修正のご相談を強く行うところです。

・「本日は休講」「補講は一月に設定する」(編集部注の箇所について)
 →その日はK先生の休講手続きが間にあわなかったため、ぼくも含めた二名の教員がかわりに教室に行き、主にはぼくが質疑応答も含めて75分ほど話をしています。ですから、若干の時間短縮があるとはいえ、枠組みとしての「授業」は存在しています(休講の届けが間にあわず学生たちが教室に集まってしまったため、出席カウント上は全員を出席扱いにすることも、ぼくの記憶違いでなければ伝えたように思います)。
 ただし、それは本来想定していた授業進行とは異なるため「実質的には休講」と教員の側としては捉えること、「蒼生」の実作業が始まる1月以降になれば、15回の授業時間以外に教師も含めて集まり作業する時間が確実に多々発生するため、そのとき実質的な休講の補完が行われることになる旨を伝えています(大学の規定でも、補講はいわゆる座学の他にも、課題の設定と成果物の提出など複数の方法が認められています。また、K先生ともうひとりの担当教員であるO先生は、1月26日の15回目の授業終了後も、編集・校正などグループごと、あるいは班ごとの公式の作業日を1月28日以降計6回設定し、さらに個別指導5回を加えて11回出校、26時間にわたって学生の指導を行っています。オンラインでのデザイン指導等も加えれば、さらに多くなります)。そのことを、A氏たちは「1月に補講をすると言った」と捉え、笙野さんにそう申し上げたのだと思います。


2019年3月15日
市川真人